うさぎドロップ 9.5 映画・アニメ・原作 公式ガイドブック(Feelコミックス)
- 作者: 宇仁田ゆみ,公式ガイドサポーターズ
- 出版社/メーカー: 祥伝社
- 発売日: 2011/07/08
- メディア: コミック
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9.5巻は、表紙にもある通り「映画・アニメ・原作 公式ガイドブック」という位置づけ。刊行時は10巻未発売の時期だったので、9.5巻というタイトルになっているようです。時系列的にはこんな感じ。
- うさぎドロップ9巻 (2011年7月)
- うさぎドロップ9.5巻(2011年7月)
- アニメ「うさぎドロップ」放映開始(2011年7月)
- 映画「うさぎドロップ」封切(2011年8月)
- うさぎドロップ10巻(2012年3月)
漫画が面白ければ面白いほど、作者がどんな人なのかが気になる自分としては、ここにきて初めて宇仁田ゆみという作者に触れることができたのは良かったです。
ただ一方で、9巻の終わり方についての作者の意図について書かれた部分はほとんどないのは残念でした。連載時にも、9巻の終わり方について読者や周囲から意見が多かったはずですが、そんなことは気にしないのか気にならないのか、どちらにしても本人に迷いはなかったのでしょう。
映画やアニメ制作関係者との対談の中では、『うさぎドロップ』という漫画の面白さのポイントを再確認するのと合わせて、設定の裏話的な話を知ることができます。
- 中でも、原作が持っている独特の間をどう活かしていくかがポイントでしたね。漫画ではきっとコマの大きさひとつとっても工夫されていると思うんですよ。(映画版監督・SABU)
- 当時、上の子どもが4歳で、原作を読みながら「わかる、わかる!」の連続でした。ありがちな「子どもの恰好をした大人」じゃなくて、「生きた子ども」がそこにいる!って。(アニメ脚本・岸本卓)
- 読者さんから嫌われてしまうのは仕方のないキャラクターなので、正子の恋人と私だけは彼女に対して愛情を持っていなくてはいけないと思って、そこは意識して描いていました。私が彼女に対して攻撃的な描き方をしてしまうと、それは違う話になってしまうと思ったので…。p65(宇仁田ゆみ)
- 私は必要に迫られないとキャラクターの名前をつけないものなので、コウキ母も最後まで下の名前がつかなくて、映画では「ゆかり」と下の名前も明らかになったのですが、マンガの中では登場しなかったので最後までコウキのお母さんというキャラでした。p68(宇仁田ゆみ)
SABU監督の言う「独特の間」というのもそうですが、この漫画(多分宇仁田作品に共通)の大きな特徴は、不要な部分がとにかくそぎ落とされていることで、セリフも不要と思えば表情だけで済ませてしまう。そこが、繰り返し読んでも楽しめる漫画になっている大きなポイントだと思いますが、少し違和感のあった「コウキママ」と「正子の彼」の名前が出てこないという問題についても、作者本人の意図を知ることができて良かったです。(とはいえ、名づけの「必要に迫られる」レベルでのメインキャラクターだと思いますが)
この9.5巻の中で、宇仁田ゆみの人柄が一番よくわかるのは、普段から仲の良い、日本橋ヨヲコ(少女ファイト)、野村宗弘(とろける鉄工所)との座談会。
自分が第1部(4巻まで)、もしくは第2部の8巻までを読んで感じた通りの「気持ちが優しい」「しっかり者」というポジティブな印象で、日本橋・野村評によれば、登場人物の中ではダイキチに最も近く、正子からは最も離れた性格とのこと。やっぱりな、と思う傍ら、9巻ラストに感じる「なんか変」という印象とはややそぐわず、その点についてはやはり腑に落ちない気持ちは残るのでした。
ここで出てくる宇仁田ゆみ人物評と『うさぎドロップ』評は以下の通り。
- うにせんせ(宇仁田ゆみ)は気遣いの人で、仲間内では「菩薩」と呼ばれている(日本橋)
- うにせんせがいてくれるだけで、まわりが牧場(平和でのどかな感じ)みたくなる(日本橋)
- 『うさぎドロップ』には、キャラたちの言動に作り手側の価値観とかを押しつけられているような生理的不快感がまったくない(日本橋)
- 見せるエピソードの順番が上手いから、流れやキャラの言動がすんなりと読者に入ってくる(日本橋)
一方で、物語の筋について一番突っ込んで話をしているのは河内遙(関根くんの恋)との対談で、ここでは以下のことがわかります。
- 親子として描かれていた2人の関係が変わっていくというかたちのラストは連載が始まった頃から決まっていた
- ダイキチは「真面目なところがあるから、好きな人が望んだことは最終的には受け入れるタイプ」
- 子どもを引きとって育てるという話を悲しいものとしてではなく楽しいものとして描きたかった
- 影響を受けた「ハイスクール!奇面組」は笑わせるときに人を傷つけることがないのがカッコいい
- 吉田秋生の漫画の影響でコマ割りは基本的にタテヨコのみで斜めは使えない
- 少年誌や青年誌ばかりを読んでいたこともあり、恋愛を主軸に置く少女マンガは描けない
- (宇仁田ゆみがうれしいと言った河内遙評)りんが子どもの話をしたときに、それまでりんの代理のお父さんだったダイキチが、りんという奥さんを得てまたお父さんになるんだと思ったらじんときて…。
ということで、最後の河内遙の見立ては、ダイキチを中心に据えてあくまでダイキチの成長に特化して考えた場合の作品評になっています。これは、大吉よりりんに関心が向く自分のような人にとっては受け入れにくいものです。また、宇仁田ゆみ自身が書いているように、ラストへの流れは、ダイキチが望んだものではなく、意固地なりんの意志をダイキチが受け入れたもので、ダイキチ側の視点に立ってもやはりモヤモヤが残ります。
宇仁田×日本橋×野村鼎談の中で、最後に日本橋ヨヲコが次のように書いていますが、鼎談の中でこの漫画を何度も絶賛している日本橋もラストは納得が行っていないのではないのではないかと思います。
終わる必要がない作品というか、問題が提起されて解決されることが重要なタイプの作品ではなくて、その経過に重きがおかれていた作品だから、いつまでも続いていて構わないというか、読みたいと思う作品だったもんね。個人的にはどんな最終回でも構わないと思ってたし。
ということで、9.5巻は、宇仁田ゆみさんが「菩薩」と呼ばれるくらいの人格者であるということがよくわかる内容でしたが、9巻の終わらせ方について理解の助けになるような部分はあまりなかったのでした…。