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「地味な戦い方」にこそ意味はある~松田青子『スタッキング可能』

スタッキング可能 (河出文庫)

スタッキング可能 (河出文庫)

『あなた』と『わたし』は交換可能?

5階A田、6階B野、4階C川、7階D山、10階E木……似ているけれどどこか違う人々が各フロアで働いているオフィスビル――女とは、男とは、社会とは、家族とは……同調圧力に溢れる社会で、それぞれの『武器』を手に不条理と戦う『わたしたち』を描いた、著者初の小説集が待望の文庫化! 

「スタッキング可能」「ウォータープルーフ嘘ばっかり!」「マーガレットは植える」「ウォータープルーフ嘘ばっかり!」「もうすぐ結婚する女」「ウォータープルーフ嘘ばっかりじゃない!」「タッパー」の7編から成る短編集。
裏表紙のあらすじは、珍しく導入だけでなく本質の部分に触れた内容だ。


あらすじに「女とは、男とは、社会とは、家族とは……」なんて書いてあり『持続可能な魂の利用』と似た空気を感じつつも、実際にこの短編集を読み進めると、予想外にトリッキーな小説集となっている。トリッキーというのは、内容よりも「ガワ」に工夫を凝らしているという意味で、まるで清水義範の短編集を読んでいるような印象を受ける。

特に大きいのが「ウォータープルーフ嘘ばっかり!」。3篇(実質4編)にまたがって、「青年の主張」のような、「掛け合い漫才」のようなアラサー女性の心の叫びが書かれる、この短編は、まさに奇をてらった感が強い。確かに同調圧力に抵抗するような主張もあるが、語りかけている相手が実は…というラストの話も含めて、トリッキーかつ単純に面白い話だ。


一方、「スタッキング可能」というタイトル作は、A田、B田、C田、A山、B山…と沢山の登場人物の会話が描かれるが、別々の人物の発言も内容が似過ぎていて、どれがどれかわからなくなってしまう変わった小説だ。
この短編が、タイトル通り、今の日本社会で生きる中での、自分と他人との間の「取り換え可能」感について書かれた本であることは、タイトル作だけでなく「もうすぐ結婚する女」でも「タッパー」でも同じテーマを扱っていることからもわかる。
穂村弘の文庫巻末解説は、トリッキーな部分も「取り換え可能」な部分も含めて全体を評価している。これまたうまいまとめ過ぎて、ブログに感想を書く気をなくしてしまうほどだったのだが、最後の文を引用する。

本書に収められた作品たちは、絶望と希望の塊のようだ。二十一世紀の生温い絶望をぎりぎりまで圧縮することで希望に転化する力を秘めている。(略)

表題作のラストシーンでは「スタッキング可能」という言葉がくるりと反転して光が溢れ出す。それは、「わたし」と「あなた」は時間を超えて繋がれる、って意味だったんだ。

この指摘(「わたし」と「あなた」は時間を超えて繋がれる)は、明確に書かれているわけではないが、どこを指しているかは明確だ。

『わたし』は絶対それが普通だって思わない。『わたし』は絶対おもねらない。だまってずっと、おかしいって、馬鹿じゃねえのおまえらって、心の中でくさし続けてみせる。頭の中にあるデスノートに名前を書き続けてみせる。だって誰かがおかしいと思ったから、いろんな場所でいろんな人が同じように思ったから、声に出した人だけじゃなくて、声に出せなかったとしても思い続けた人がいたから、たくさんいたから、たった20年くらいでこんなに違うんでしょ。だから思い続ける。(略)
そのために、誰にも侵されない難攻不落の『わたし』をつくる。会議室にあるみたいなスタッキング可能のイスを重ねてバリケードをつくる。(略)
そうすれば、きっと消えない『わたし』が残る。消せない『わたし』がそこに残る。どうかなあ、こういう戦い方は地味かなあ、少しも意味がないのかなあ?
p92

つまり、自分の考えていることが、いかにつまらない、他の人と代り映えしない意見だとしても、考えることに意味はある。
SNSの書き込みを見て、違和感があったとして、それを書き込まないからと言って、その違和感が「ない」ことにはならない。「おかしい」と考え続けることには絶対に意味がある。
『持続可能な魂の利用』 の感想と重なってくるが、デモをしたりSNSで意見を発信しなくても、個人個人が考え続ける「地味な戦い方」に、自分は、今、興味がある。社会的な問題に対しては、信頼できる政治家がいて、そこ(政治)に期待する というのが、本来は手っ取り早いのかもしれないが、それが出来ない、と考えていることも大きい。


「わたし」と「あなた」は時間を超えて繋がれる、と穂村弘は書いたが、今現在の多数派でなくても、過去、未来まで含めば、多くの人数に、大きな力になるかもしれない。

だから大切なのは、おかしいと感じたことは、消さずに積み重ねて 「誰にも侵されない難攻不落の『わたし』」をつくることなのだろう。TwitterGoogle先生が「わたし」をつくるのではない。自らの感覚の積み重ねこそが「わたし」をつくり、社会を変えていくことに繋がる。
そういうことを『スタッキング可能』の短編は言おうとしているのだと思う。
松田青子さんは、2作とも良かったので、もっと読んでみたい。

読めよ、さらば憂いなし

読めよ、さらば憂いなし


参考(過去日記)

pocari.hatenablog.com