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義時ライジングの流れが理解できた~本郷和人『承久の乱』

今年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の放送直前の正月に「鎌倉殿サミット2022」という特番(NHKがあり、番組が立てたいくつかの「謎」に対して複数の歴史学者が持論を戦わせていた。
当然、時代考証の坂井孝一さんも出演者の1人だが、司会の爆笑問題をサポートする案内役として出ていたのは、この本を書いた本郷和人さんだった。大河ドラマの背景となっている歴史を『吾妻鏡』などの史実と照らし合わせて推理する行為そのものに興味を持つきっかけとなった、とても良い番組だった。
www.nhk.or.jp


今回、坂井孝一さんの『承久の乱』(2018年12月)と同タイトルの本郷和人承久の乱』(2019年1月)を読んでみると、番組で受けた印象と全く同じで驚く。
生真面目な印象の坂井孝一さんに対して、豪快な印象の本郷和人さん。大学教授には、研究ひとすじのタイプと、それ以上に広報やビジネスの才がある人がいると思うが、まさに二人はその両極端のように感じた。
勿論、このキャラクター付けは中公新書と文春新書というブランドの違いそのものなのかもしれない。とにかく本郷和人承久の乱』は読みやすく、さすが『東大教授がおしえる やばい日本史』の人だと感じた。


この本のポイントは「人」を重点に据えた説明で、第一章の冒頭でも鎌倉幕府の本質を「頼朝とその仲間たち」と一言で言い表す。
その後、「頼朝と…」は「義時とその仲間たち」に移行する。だからこそ、後鳥羽上皇は「義時を討て」=「義時とその仲間たちを討て」と倒幕を目的に承久の乱を起こす、という流れもわかりやすい。
なお、この部分が、坂井VS本郷で意見が分かれるところで、坂井孝一さんは、承久の乱はあくまで北条義時を排除することが目的で倒幕は考えていなかったという説をとる。どうもこの話は、2021年9月のNHK出版新書『鎌倉殿と執権北条氏』で、坂井さんが直接、本郷説を否定しているようで、そちらを読むのも面白そうだ。*1


さて、北条義時がどのような過程で鎌倉幕府を「義時とその仲間たち」にしていったのか、という話は2章、4章に分かりやすく整理されているが、短くまとめたのが以下の部分になる。

鎌倉を舞台に、梶原景時、比企氏、畠山重忠といったライバルたちを次々に謀略で滅ぼし、将軍・頼家までも幽閉した北条時政。その時政に従い、血なまぐさい政争に明け暮れながら、最後は父すら追い落とした北条義時。血で血を洗うサバイバルの最終商社となった義時こそ、知謀と武力、すなわち実力で勝ちあがった「鎌倉の王」であると、東国武士の誰もが認めたはずです。p131:4章

政子はいたものの、北条氏は源頼朝にとっては一番ではなく、梶原景時、比企氏、畠山重忠など有力なライバルが多数いたということがよくわかった。
中でも『吾妻鏡』『源平盛衰記』『曽我物語』などでも別格の存在として書かれ「鎌倉武士の鑑」「理想の勇者」として絶大の人気を誇った畠山重忠大河ドラマでは中川大志)は、強く印象に残る。結局この重忠は、(義時も反対したにもかかわらず)北条時政に無理筋の理由で滅ぼされてしまうので、この後の大河ドラマでは、中川大志の活躍を応援しながら北条時政へのイライラポイントを貯めたい。
さらにこの本の中で承久の乱までの流れの「影の主役」と書かれる平賀朝雅。まんが版日本の歴史だったか、四代将軍の名前として、突如この名前が出て来て???だったが、北条時政が後継者として考えていた人物だという。時政にとっては娘婿だが、そもそも平賀氏自体が源氏の名門で血筋が良いという。
結局、畠山重忠の乱も、この平賀朝雅がかんでおり、戦術の四代将軍の件(牧氏の変)で、北条義時が時政から権力を奪う流れになっているわけだから、かなりの重要人物。
大河ドラマで誰が演じるのか楽しみ。
なお、大河の追加キャスト発表で、気になっていた最終ボスの後鳥羽上皇、そして北条泰時、時房、源実朝が発表。イケメン配役は確定と読んでいた北条時房は、瀬戸康史ということで、予想通り仮面ライダー系のキャストが来ました。(キバは見ていないので、『グレーテルのかまど』の人という印象が強いですが)
www6.nhk.or.jp


ということで、この本では、北条義時ライジングまでの流れがよく理解できました。
「わかりやすく、おもしろく」を重視する本郷和人さんのモットーは、生真面目なタイプの坂井孝一さんとは合わないのかもしれないですが、一読者としてどちらも楽しく読めました。
人の名前も覚えながら坂井、本郷それぞれの続刊や関連本を読み進めたいです。

参考(過去日記)

pocari.hatenablog.com
pocari.hatenablog.com

*1:なお、実朝暗殺についても、義時が大きく関与していたという本郷説と、義時との関連は薄いと考える坂井説は大きく異なる