Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

オトナって何?〜津田雅美『十年後、街のどこかで偶然に』

筆記具メーカーで働く藤堂は、高校の同級生・槙と十年ぶりに再会する。左官職人となっていた槙は変わらず無口な性格だったが、以前よりわかりやすい人と感じる。高校生では近づけなかった二人が、今新しいステージに…!?


ブロス・コミックアワード2016で「オトコ・オンナが惚れるマンガ」部門1位となっている今作。*1
津田雅美さんは、カレカノ以来ということで、とても楽しみにして、読んでみましたが・・・。


…ダメだ…わからないよ。
この漫画の面白さが全くわからない…という結果に。



津田雅美 初のオトナもの!!」と帯で煽り、作者本人も、それを意識していることを近況欄で書く本作は4篇からなります。
高校の同級生だった3人の「オトナ」の女性主人公が、恋愛に、仕事に生きる姿を描きつつ、十年後の再会をテーマにした内容。
ということで、再度読み直し、「オトナ」というのは何かという部分に着目しながら、何がダメなのかを考えてみました。


まずは良いところから。
1話目「my favorite things」と3話目「pieces」は、筆記具メーカーで働く藤堂菫(すみれ)が主人公。同級生からも憧れの存在であり、会社でも「学生時代もてそう」「キラキラしていそう」と思われていた彼女には、実は密かなコンプレックスがあって、自分に決定的に足りないと思っている部分を男性に求めるという状況は、面白くなりそうな設定だと思う。
2話目「a storm」の主人公、樫原(カッシー)は、高校時代にスクールカーストの中でのやや低めとなる自分の立ち位置を冷静に判断していた人。しかし、かなり上位に入る須賀谷先輩から告白され、付き合ううちに、周囲の嫉妬の視線が気になって行く。結果として、自分らしさを失ったカッシーは高校の卒業式に破局を迎えてしまう。こちらは1話目よりも素直に「コンプレックス」をテーマにしており、登場人物の中では最も理解しやすい存在。
3話目では、藤堂菫が、自分の企画した「女子ペン」に対する評価を聞くにつけ、女性を一段劣る存在と見る男性社員の姿勢を感じ、恨めしく思う。これは「オトナもの」という売り文句に対するひとつの答えかも知れない。この視点はいいと思う。


さて、本題である「ダメな部分」については、大きく3つに分けて考えた。
まず、男女が恋に目覚めてから付き合うようになる過程が曖昧過ぎるという点。結局これが一番ダメな部分かも知れない。
メインキャラクターである菫は1話目では、左官職人のマキ君とは付き合っておらず、その再会がメインに語られる。冒頭だけ登場する2話目では、菫はマキ君のことを、カッシーに「彼」として紹介している。3話目では、「つきあうようになって1年と少しが過ぎた」としておきながら、マキ君は、未だに自分を抑えていて、すぐ真っ赤になるけど、菫と同じベッドで寝ている。
一番ページ数を費やしている二人の関係ですら、二人がどう気持ちを交わして、どう喧嘩して仲直りして、もしくはどういう夢があって、どういう妥協をして付き合うに至ったかという過程が全く分からない。*2
1話目では、二人がそれぞれ高校時代の思い出を通して、相手への思いを独り言で語っているが、それは、単なる自分勝手な幻想。これだけで恋愛が成就するのは「オトナ」ではないでしょ。それを相手にぶつけて、お互いが反発し認め合う場面を経てないから、3話目の最後で危機を迎えることになる。*3
というか、マキ君は字幕より吹替えが良いなら1年つきあったあとじゃなくて、もっと先に言えよ、と思います。


次に、それぞれのコンプレックスの問題が置き去りにされている、もしくは「愛で解決された」風になっている点。ひとつめが「わかりにくい」「リアリティに欠ける」という弱点だったのに対して、これはもっとネガティブに「腹立たしい」と思える。
出てくる主人公それぞれに、わざわざコンプレックスの問題を挙げているのに、そこにタッチできていない。3話目のラストではお笑い(「3」の目)で誤魔化しているが、そんなことにページを費やしてほしくない。勿論、ページ数の関係で比較はできないが、『3月のライオン』で描こうとしているいじめの問題や家族の問題へのアプローチと比べると、(より個人で解決できる問題に向き合っていない姿勢が)とても不誠実に思える。
結果として「オトナ」というのは「誠実」に物事にあたらずに何とかやり過ごすもの、もしくは、恋愛が全てを解決するという間違ったメッセージを発しているように見えてくる。ここに誠実さや熱意が欠けていることは、作品自体の魅力減につながっている。
少なくとも、自分の問題を解決するために、もっとドタバタ足掻くシーンが必要だと思います。


そして最後に、4話目で、全4篇をひとくくりにまとめて、人の出逢いを、宇宙の中の星の周期的な運動みたいなものになぞらえようとしているが、全く説得力がないという点。
何より、このキャラクター(すばるちゃん)が言うべき内容だろうか?理系女子のすばるちゃんが主人公の4話目は、菫や、カッシーのエピソードと比べても分かりにくい話。*4一番の原因は、すばるちゃんが中高と接点のなかった幼馴染のチャラ男のどこに惹かれたのかがほとんど分からないというところ。「つっこみ所が多くて面白い人」というモノローグがあるが、「オトナ」がそれだけで付き合うのだろうか?*5
そして、「メガネを取ったら美形」という昭和少女マンガのロジックでバツイチ子持ちの上司と結婚まで行く2話目(カッシー)は少し変わっているが、3人の女性それぞれの恋愛や人生にそれほどバラエティがあるとは思えないので、これら3つを例に挙げて「宇宙が…」とか「星の巡りが…」とまで飛躍しまうのは、悪い意味でポエム的だ。
たとえば、益田ミリ『結婚しなくていいですか。』の3人の女性(30代中盤)の悩みの広さ・深さは、(それだってものすごくバリエーションが豊かなわけではないが)世代の感覚として、広い範囲を捉えていると思う。
それに比べてしまうと、菫・カッシー・すばる(20代後半)の「愛があれば大丈夫」的な世界の捉え方は、とても幼い。共感できる層は非常に限られているし、これを持って「オトナ」漫画などと言ってほしくない。
20代が10年を語るには速すぎるのかもしれない。いや、20代が10年を語るのを素直に受け止めるには自分が年を取りすぎたのだろうか…。


ということで、Amazonを見て悪い評価が出ていないのは解せない、というほど、自分にとっては久々の問題作。自分にとって、「オトナ」が描けていると感じる漫画に、益田ミリの一連の作品があり、これと比較してしまうのは酷なのかもしれないけど、もっと、「諦め」や「絶望」、その中の少しの「希望」を描いてほしかった。
とはいえ、内容も忘れてしまったので、10年ぶりに『彼氏彼女の事情』を読み返す、そして津田雅美先生のその後の作品に触れるきっかけにできればと思います。

*1:なお、2位は『高杉さん家のおべんとう』3位は『五時間目の戦争』

*2:過程が分からない点は、2話目のカッシーの話も4話目のすばるちゃんの話も同様

*3:なお、菫が高校時代にジャズの曲を、ひとり隠れてリコーダーで練習していたという設定は、キャラクターの性格と合っていないように思うし、そもそもジャズの曲をリコーダーで吹きたいと考える人は、相当なリコーダーマニア以外にはほとんどいないように思う。

*4:出来が悪いすばるちゃんの話に「Across the Universe」という超名曲のタイトルを使っているところも嫌いです。

*5:というか、3人の男性の魅力は自分には十分に伝わらなかった。