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徹底した取材が陰謀論を退ける~堀越豊裕『日航機123便墜落最後の証言』


これまで、青山透子『日航123便 墜落の新事実』(以下、青山本)で衝撃を受け、日航機墜落の原因について「ミサイルによる撃墜」という陰謀論に傾きかけ、これを否定する杉江弘『JAL123便墜落事故 自衛隊&米軍陰謀説の真相』(以下、杉江本)を読み、「青山本は妄想」という杉江氏の主張に納得した。

そして、今回読んだのが日航機墜落に関する3冊目の本となる。

米国関係者への取材

この本は、青山本、杉江本と比べると大きな特徴があり、それは米国関係者への取材の量が圧倒的に多いことである。
以下に、本書に取材対象として登場する米国関係者を列記する。

  • 第2章 米紙にもたらされたリーク
    • 運輸安全委員会(NTSB)の元幹部 ロン・シュリード
    • 当時のNTSBの委員長ジム・バーネット(故人)の母親、妹、親友
    • NTSBでバーネットの補佐役だったジョン・ハマーシュミット
  • 第3章 ボーイング社長の苦衷
    • ボーイングの航空安全マネジャーとして事故調査にあたったジョン・パービス
    • 事故当時のボーイング社長であるフランク・シュロンツ
    • 日本の捜査当局とボーイングの間に入った米司法省刑事局検事リンダ・キャンドラー
  • 第4章 消えない撃墜説を検証する
    • 空中分解したTWA800便の事故のNTSB主任調査官であるトム・ホエター(TWA800便の事故は123便と同様にミサイル撃墜の説が話題となった)
    • (事故から30年に合わせて、米政府の情報公開法に基づき、連邦航空局とNTSBに開示請求し、2年を経て公開された日航機事故に関する資料)
  • 第5章 墜落は避けられなかったか -機長たちの証言-

量だけでなく質も十分で、5章の英雄2人も含めればオールスター級の取材先とさえ言え、通常の新書のレベルを遥かに超えていると思う。
作者の堀越さんは、共同通信の記者で、ニューヨーク支局、ワシントン支局にいた時代が長い。ニューヨーク支局勤務時の2014年から取材を始めた、ということなので、立場を活かした取材ということなのだろう。
なお、取材から得られる米国関係者の印象について、あとがきには以下のように書かれているが、読者としての印象も同じで、米国側が何か隠しているようには到底思えなかった。

米国人は基本的にオープンで、筋道を立てて取材を申し込めば、かなりの人が協力してくれた。日本で外国人記者が取材しようとした場合、もっと壁が高いだろうと思う。話したくて仕方がないという人は誰一人いなかった。未曾有の大事故の調査や捜査を体験し、貴重な経験を後世に伝えねばならないという義務感や倫理感で対応してもらっている感じがした。(あとがき)

米国のNTSB(国家運輸安全委員会)が高い技術力を誇り、安全文化の点でも日本より数段上であることは、杉江本でも示されていたことではある。
しかし、この本を読んでみると、日航機事故の原因に対して、取材を受けた全員(ボーイング社の関係者や、検事など様々な立場の人)がNTSBの判断に何の疑問を持っていないことが感じられた。日本国内関係者の(日本の)事故調に対する信頼感と比べると天と地ほどの差がある。(NTSBへの信頼感は、米国で陰謀説が出るTWA800便の事故についてさえ全く変わらず、専門知識を持った人ほど全幅の信頼を寄せているようだ。)
ということはつまり、NTSBの結論である圧力隔壁原因説は揺るがない、ということだ。青山本等が主張する「撃墜説」についても、自衛隊の誤射だったとすれば、米国側が隠蔽に加担する必然性がない、というその一点で崩れ落ちる。


なお、杉江本では、事故調の報告書の理屈が十分に科学的であることを、杉江氏自身が元機長としての経験と知識をもとに確認していっていた。
それに対して、この本で堀越氏は、(自身の経験や知識ではなく)関係者に取材を重ねていくことで、圧力隔壁原因説が妥当であるという同様の結論に至る。
結論は同じだが事故原因を検証する過程が異なるのが面白い。

国内関係者への取材

当初の予定は米国取材だけだったのに対して、平凡社新書編集長の金澤智之さんからのアドバイスで、国内取材も加えたそうだが、本人も自賛する通り、このおかげで非常に立体的なまとめになっている。
何よりも面白いのは、4章において、日航機事故へのスタンスが全く異なる2冊の本の著者である青山透子、杉江弘にインタビューをしていることだ。


本の中で立場を明確にすることはないが、堀越氏によるこの本は、先述の通り、杉江氏の主張と一致するところが多くある。
青山氏に対しては、その主張に多くの疑問を抱きながらも「一笑に付すことはできない」と一定の留保は見せる。ただし、青山本に登場する最も重要な目撃証言の証言者への取材を断られたことに関する記述など、青山本への不信感は間接的に書かれているように思う。

杉江本へと意見が異なる部分

一方で、この本が杉江氏の本と意見を異にするところもいくつかある。
まず、第5章では伝説の元機長たちに日航機事故の墜落が避けられたかを問うが、ちょうどこれは杉江本の第5章の「東京湾への着水シミュレーションによる墜落回避」と対応する内容と言える。
本の中では、123便の事故は「ハドソン川」や「UA232便」の事例よりも条件(機体の損傷や、地上が見えにくい夜の時間帯)が悪く、相当難しかった=「墜落は避けられなかった」と結論づけるが、これは、機長の機体操作に主眼を置き「墜落回避が可能だった」とする杉江本とは異なる。
また、再発防止のために「CRM」の重要性が語られるところも大変興味深い。
CRMとは、Cockpit Resource Management あるいはCrew Resource Managementの略で、「機長はもとより、副操縦士や客室乗務員の能力を最大限に引き出し、安全な飛行に役立てようという考え方」を指す。
ここではCRMに詳しい米国の航空評論家の言葉が引用されている。 

日航123便の悲劇の一つは、乗員間のコミュニケーション不足にあったのではないか。
修理ミスと急減圧が起きたという異常事態だったにせよ、CRMがもう少し機能していたら結果は違ったかもしれない。CRMというのは他人を直接的に批判する文化のある欧米のほうになじむが、上司の誤りを正すことに慣れていないアジア諸国のほうにこそ大切なことかもしれない。性別や年功といった壁を超えることが必要になる。

つまり(杉江本で強調されていた)機長個人の能力や事前訓練、というよりは、コミュニケーションなどチームに主要な問題があるという視点が提供される点が興味深い。
このあたりの「失敗学」的視点は、飛行機事故のことではなく、自らの職場の問題としても捉えて考えておきたい部分だ。


次に、杉江本がきつく非難した墜落直後の自衛隊および政府の対応(墜落地点特定の遅れ)についてだが、6章でその問題は指摘しつつも、「仕方がなかった面もある」という、やや自衛隊側に寄った結論になっている。当時の防衛庁航空幕僚幹部の広報室長に突っ込んだ取材をしている手前もあるが、本の成立過程(メインは米国関係者の取材であること)を考えれば、「ここは自分が突っ込んでかき回すところではない」と判断したのかもしれない。


そして最後に「再発防止」「刑事責任の追及」のどちらに重点を置くかという問題。
杉江本が何より「再発防止」に重点を置き、米国型の事故調査のメリットを強調していたのと比べると、かなり引いた書き方になっている。自分は、杉江本を読んで、「日本型ではもうだめだ(すべての元凶だ)」と感じてしまっていたので、「米国型が必ずしも上手く行くと限らない」という結論は新鮮に感じた。

再発防止に重点を置くか、刑事責任の追及に主眼を置くか。
法律は各国の歴史と文化に深く根差したものであり、どちらが正しいとは一概に言えない。
飛行機や鉄道の事故が起きると、米国型のシステム導入を求める声が高まる。遺族の間にもあるし、事故調関係者は特にその傾向が強い。
私は否定的で、米国のようなやり方が日本に根付くとは思えない。根付くのであれば、米国型のほうがいいと思う。再発防止に資すると思えるからだが、法手続きだけを表面的に〝移植"してもうまくいかない気がする。
米国には別の人の犯罪を洗いざらい提供する代わりに、自分を免責してもらう司法取引の制度も定着している。米国は自分の主張を語る文化であり、日本は黙っていることが美徳とされてきた。根本から違う。

ただし、これまでのやり方を変えなくて良いというのではなく、警察が改善すべき点として、(1)ミスを罰することの是非、(2)権力をかさに着る警察全体の体質を挙げている。
このうち一点目は、具体的には、運輸省元検査官が修理ミスを見落としたとして、群馬県警書類送検され、連日の事情聴取の中で自殺に追い込まれた件を指している。

県警は職務上、田島の刑事責任を問わねばならないが、問うたことで一体誰が幸せになったのだろうかと思う。(略)誰かに責任を取らせることで溜飲を下げる社会だとすれば、少し悲しい。プロにはプロらしい仕事を期待するが、事故が起こるまで認められてきた仕事以上の内容を急に求めるのは酷である。標準的な能力を持っていればミスを招かず、ミスをしてもどこかで元に戻せる環境をつくることが重要なのである。悪気のないミスに対 し、有形無形の圧力で追い詰めていく社会は健全でない。

NTSB関係者には「米国では考えられない」と言われているが、日本型組織では十分起き得る可能性のある流れでもあり、まさに仕事上のミスをめぐる自分自身の組織の問題(反面教師)として肝に銘じておきたい内容だ。

まとめ

ということで、ここまで書いた通り、青山本、杉江本のどちらとも異なり、徹底的な関係者取材や、資料の読み込みから「事実」を読み解いていく過程がなかなかスリリングな本だった。
3冊の中では執筆にかけた時間が最も多いと思われ、これを読んでしまうと、青山本は、(「科学」の成立根拠を「再現性」とするのであれば)「社会科学的」には稚拙で、根拠が希薄な本と言える。その感覚が分かっただけでも3冊読んだ甲斐があった。
また、最後に書いた通り、杉江本との微妙なスタンスの違いがやはり面白い。
このあたりも、物事を考えるときに2択(青山本か杉江本か)ではなく、3択、4択に出来るよう、考え方の引き出しを多く持っておく必要性を感じた。それもまた訓練が必要だ。


そして、このような大きな事故でも、大元は「ミス防止」という、どのような人の仕事にも関連する因子に分解できることを再確認した。実際に身近に生じた失敗事例を学び分析するのは勿論重要だが、直接は無関係な事例からも学べることは多くあるはずだ。
「失敗学」の本も一時期何冊か読んだが、今ならまた違う気持ちで読める気がする。とかく「仕事本」的な本は毛嫌いして避けてきた傾向があるが、読み直すべき時期が来ているというサインかもしれない。


なお、このように「自分事」にしていけばしていくほど、精神的にも「陰謀論に逃げる」ことは難しくなる。
陰謀論」は、問題を他人事として捉え、その原因を(できるだけ自分と直接は無関係な)「大きな存在」に求めようとして出てくるものとも言える。
安易に逃げない、ただそう思っておくだけでも、陰謀論を避けて生きていける気がしてきた。

参考(過去日記)

pocari.hatenablog.com
pocari.hatenablog.com