Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

バリ島行かないのかよ!~松永K三蔵『バリ山行』


読みやすく面白い2024年上期の芥川賞受賞作だが、思い込みが何重にも重なり、その意味でも印象深い読書となった。


『バリ山行』というタイトルを見て、まず「山行」を「やまぎょう」と読み、僧侶がバリ島の山で修行をする話なのかと思い込んでいた。
バリ島は、数年前に旅行して、ヒンドゥー教の寺院がたくさんある印象が強く、そうしたところも僧侶・修行というイメージにマッチした。
また、よくよく考えると、僧侶や修行というのは、松永K三蔵の「三蔵」に引っ張られた可能性もある。
さらに言えば、少し前の芥川受賞作である石井遊佳百年泥』がインドを舞台にしていたから、バリ島を舞台にした小説というのも面白いと思ったのかもしれない。

ところが、何かの情報で、まず、「僧侶」の「行」の話だというのは完全なる思い込みだと知った。
つまりは、バリ島に登山に行く話なんだな、そう理解した。
ただ、それなら読み方は「やまぎょう」ではないのだな。
「ざんこう」だろうか…



つい最近、読書家で博識なYさんがこの本のタイトルを口にするのを聞き、衝撃を受けた。*1
バリやまゆき
そうか!「山行」は「やまゆき」と読むのか!
そういえば、藤井隆の1stアルバム『ロミオ道行』は、数年周期で「そうか!道行はみちゆきと読むのか!」と驚いて、しばらく経つと頭の中では「どうこう」に戻る、というのを繰り返していたので、自分らしい勘違いだと納得したのだった。


読み始めてわかったこと

読み始めて、舞台が国内、しかも普通の会社の登山サークルであることに驚く。冒頭の文章はこうだ。

山ですか?最初に山に誘われたのは四月。山ガールだという事務の多聞さんに声を掛けられ、私はキーボードを叩く手を止めて顔を上げた。
「はい!波多さんも行きましょうよ」

全然バリ島じゃないじゃないか。


ただ、趣味が高じて沼にハマる、というのは、こうした本ではよくあることだ。冒頭で初めてフルマラソンに誘われて、1年後に海外のマラソンに遠征する話などはエッセイなどではむしろ多いくらいじゃないかという気がする。趣味が高じて選ぶ山がバリ島にあるのかよくわからないが…


さらに数ページ読み進めると「山行記録」という言葉があり、ふりがながついていることに気がつく。
さんこう
「やまゆき」じゃないじゃないか!(Yさん…!)


タイトル関連情報がもう少し明らかになるのは、会社の登山部に、職人気質で職場で変人扱いされ孤立しているベテラン社員の妻鹿(めが)が参加することになってからだ。
そんな妻鹿を評する言葉の中で、初めて「バリ」という言葉が出てくる。

「バリやっとんや、あいつ」
バリ? 私にはそれが何を指すのかわからなかった。が、すぐに松浦さんから「な、アカンやろ?」と同意を求められたので、「あ、それはダメですね」と思わず答えてしまった。「加藤文太郎*2気取りか知らんけど、ソロでちょっと慣れてきた連中が勘違いして、ああいう勝手なことして事故起こすねん」

登山歴20年で定年後も嘱託として勤めている松浦さんが怒っているのは何故か?そもそも「バリ」とは何なのか?主人公の波多もわからない。自分もわからない。
バリ島ではないのか…?



少し経って波多は、やはり登山が趣味の槙さんから教えてもらう。

「バリっていうのは、バリエーションルートの略ですよ」
(略)
バリエーションルート。バリルート。そんな言い方もするという。通常の登山道でない道を行く。破線ルートと呼ばれる熟練者向きの難易度の高いルートや廃道。そういう道やそこを行くことを指すという。「でも明確な定義は無いんじゃないかなぁ。ちょっと珍しいルートでもバリエーションと言っちゃう人もいますし。逆に踏み跡も無くて、ルートにもなっていない沢沿いとか尾根伝いとか、地形図を見て、登れそうなところ、行けそうなところを進んでいく完全ルート無視の山行」そんなものを含めて指すこともあると言う。
p35

つまり、ルール無視の危険な登山でもあるというのだ…
やっぱり全然バリ島じゃないじゃないか!
登山サークルの趣味が高じて海外遠征に行く話はどこに行ったんだ…。



さて、(バリ島に行かないという話は別にしても)物語の展開は、自分にとって予想外な方へ行く。
受注安定のために、元請工事をやめ下請工事に徹するという会社の大幅な方針変更のおかげで、かえって仕事が忙しくなり、登山なんかに行っている暇がなくなってくるのだ。
登山の話が盛り上がるのかと思っていたら(そして、多忙な仕事から逃れられるために本の中くらいはバリ島に行きたかった自分の目論見と外れて)会社の営業戦略だったり、嫌な人事異動だったり、と、長きに渡ってサラリーマン悲話を聞かされる羽目になる。


うんざりしてきたところで、波多が抱えた仕事上のトラブルを妻鹿に助けてもらったことをきっかけに、波多からお願いして妻鹿に「バリ」に連れて行ってもらう流れになる。


やっと…。
(バリ違いとはいえ)やっと楽しみにしていた、本題のバリ!


バリの楽しさに目覚めた波多が、妻鹿を師と仰ぎ、活動の幅を広げる話になるのかと思っていたが、ここでも予想外の展開。

2人で行ったバリ(六甲山)では、妻鹿がマイペースに見えつつもバリの楽しさを伝えようとするのに対して、波多はどうしても会社の今後のことが気になり、不安で、頭から離れない。
自然の素晴らしさに感動したのも、峪の景色に圧倒された最初だけだ。

群れて行動するのを嫌い、普段は口数の少ない妻鹿は、気持ちが乗ったのか、不安の汗をかいて大岩に縋りつく波多に対してわざわざこんなことを言う。

「な、本物だろ?波多くん」
本物?私がその意味を掴みきれずにいると、「この怖さは本物だろ?本物の危機だよ」と続けて言った。その声に異様な響きを感じて見上げると、逆光の中で黒い影になった妻鹿さんが薄く笑みを浮かべているように見えた。その危機に自ら踏み入っておきながら何の冗談だろう。訝しむ私をよそに妻鹿さんは立ち上がり「で、ここからはね」と岩の裏に廻り込み、その先の崖を覗き込んだ。
p96

その後も、やはり気になってしまう会社の今後について、波多から話題を振られても、こう返答する。

「なんかねえ、バリをやってるといろんなことを考えちゃうんだよ。で、それでも確かなもの、間違いないものってさ、目の前の崖の手掛かりとか足掛かり、もうそれだけ。それにどう対処するか。これは本物。どう自分の身を守るか、どう切り抜けるか。こんな低山でも、判断ひとつ間違えばホントに死ぬからね。もう意味とか感じとか、そんなモヤモヤしたものじゃなくてさ。だからとにかく実体と組み合ってさ、やっぱりやるしかないんだよ」
p116

そんな妻鹿に対して、波多は不信感を募らせる。
このあと、足を踏み外して死にかけるような状況にも陥り、帰りがけについに爆発する。

「そんなもの感じるわけないじゃないですか! 死にかけたんですよ!」言いながら足が震えていた。(略)
「山は遊びですよ。遊びで死んだら意味ないじゃないですか!本物の危機は山じゃないですよ。街ですよ!生活ですよ。妻鹿さんはそれから逃げてるだけじゃないですか!
ズルくないですか?不安から眼を逸らして、山は、バリは刺的ですけど、いや本物って、刺徴的なもんじゃなく、もっと当たり前の日常にあるもんじゃないですか。
(略)
向き合うのは山じゃなくて、生活ですよ。会社ですよ。
p128

結局、小説としては、妻鹿が退社してしまい、音信不通になってから、最後に波多が「悟り」(?)を開いてバリに目覚めるという話になる。
と、終わらせ方こそオーソドックスなのだが、妻鹿に連れて行ってもらった最初のバリで波多の爆発は、多忙にしていると、つい感じてしまう、「自由に見える人」に対する憧れや焦りが混ざった気持ちをよく表していると思う。先日まで放送していたドラマ『ひらやすみ』でも、吉村界人演じるヒデキが、勤め先での心労から親友のヒロト岡山天音)に憎しみの目を向けてしまう場面があったが、それと似ている。


山行の描写は、知らないことも多く、新鮮な気持ちになれたが、波多が熱弁する「向き合うのは山じゃなくて、生活ですよ。会社ですよ」にも圧倒的なリアルを感じ、その両面がこの小説を面白くしている。

また、毎週末に色々な「バリエーション」のコースをランニングや自転車で走るのが楽しい自分にとっては、仕事で溜まった「毒素」を抜くいわゆるデトックスの効果をバリが果たしているのではないかと思い、その点で妻鹿や波多に強く共感する。
「本物の危機」が必要かどうかは分からないが、自分の身体を動かして新しい景色を見ることは、確実に心身をリセットすることに繋がっている。
怪我をしない程度に久しぶりに遠くに行ってみたい。



松永K三蔵さんは数年前にラジオ番組sessionに出演されていたときから興味を持っていたが、『バリ山行』は、バリ島の話ではなく六甲山の話だったが、やっぱり面白い本だった。
会社員作家だということも知り、そこも気になる。
『カメオ』の方も読んでみよう。

*1:ビブリオバトルで別の人が角幡唯介『地図なき山』を紹介したときの質問。確かに『バリ山行』を読み終えると、何となく考え方の根本に類似がある気もする。

*2:新田次郎孤高の人』の主人公(のモデル)で実在の人物。実は漫画でしか読んだことがなかったのですが、小説と漫画では内容に差があるのだとか…。