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好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

ペットを飼うということ〜森絵都『君と一緒に生きよう』

君と一緒に生きよう (文春文庫)

君と一緒に生きよう (文春文庫)

以前も書いたことがありますが、小学生の息子の道徳の授業を参観したとき、犬や猫の「殺処分」の番組を見て、非常に考えさせられました。自分は犬猫などのペットを飼ったことがないので、飼い主の気持ちをなぞることができない分、「ペットを飼うということはどういうことなんだろう」「何でペットを飼うんだろう」ということについて想像をめぐらせることが多かったからかもしれません。特に強い興味を持っていなくても、いわゆるペットロスの問題や、東北の震災で被災したペットの問題、また、AIBOなどのロボットのニュースなど、ペットについて考える材料はいろいろな機会に目や耳に入ってきます。
毎日新聞の連載をまとめた『君と一緒に生きよう』は、そんな自分の関心にぴったりはまる本でした。

捨て犬。野良犬。迷い犬。この世は不幸な犬で一杯!どこかの一頭が飼い主にめぐり会えたかと思えば、どこかでまた五十頭が捨てられ、救われる犬は、ほんの ひと握り。毎日こんなにたくさんの犬が殺されている社会って、何なのだろう?はかない命を救うために奔走する人々を通じて、命の意味を考えるノンフィク ション。(Amazonあらすじ)


捨て犬、野良犬、迷い犬、保健所から救出された犬、さまざまな境遇の犬を保護して、希望者に譲渡する「犬の保護活動」。この本の中で扱われるのは、犬と、犬の保護活動に携わる人と、彼ら(犬)の里親になった人たち。
猟師に捨てられた犬、難病の犬、ブリーダー崩壊で放棄される犬、ホームレスが土手で飼う犬。
森絵都自身の2頭の犬(スウ、ハク)との出会いから始まり、本の中では、さまざまな犬と人間の心の交流が描かれます。どの犬も、その境遇から、最初はなかなか心を開きませんが、次第に明るい表情を見せるようになります。2頭目、3頭目の場合は、先住犬との仲も難しい問題ですが、犬も変わっていくし、人間も変わっていきます。
犬好きの人たちばかりが登場するので、そういった部分は、読んでいてとても優しい気持ちになれる内容です。
しかし、この本は同時に、「犬を飼うということは、そんなに簡単なことではない」というメッセージを何度も発しています。
たとえば、認知症の犬(ミスティ)の介護で毎日朝2時半に起きて雑事をこなし、仕事に出ている日中はペットシッターを雇っている「宮路さん」(おそらく50代後半)という方の話が出てきます。犬を飼うことがどれほど自分の心の支えになっているのか、ということがわかる生活の様子のあとで、宮路さんは、一人暮らしの人間は犬を飼うべきではないかもしれないと考えるようになった、と言います。

「犬が老いたとき、すべての負担を一人で背負いこむのは容易いことではありません。もちろん、それを補ってあまりある喜びを私は二頭からもらってきたし、今は若いころに留守番ばかりさせてしまった罪滅ぼしをしているつもりなんですけどね。でも、私が犬を飼うのはミスティで最後にします。」

これに対する森絵都のコメントでは「命への責任」「試練をともなう愛情」という言葉が使われ、強い気持ちが感じられます。

遠からず訪れる犬の高齢化社会。そのときどれだけの飼い主が、宮路さんのように自ら引き受けた命への責任を最後まで全うし、試練をともなう愛情を与えぬくことができるのだろうか。


こういった厳しい物言いが出てくるのは、そもそも、こういった保護ボランティアの活動に対して、それを「勘違い」する人たちがいることをよく知っているからです。

この連載を始めてもうじき半年になるけれど、私が心配なのは「犬を捨てても、親切な人たちが救って、新しい飼い主を探してくれるようだ」と、脳天気な誤解(あるいは都合のいい捉え方)をする人が現れかねないことだ。ボランティアのなかにも同じ不安を口にするひとがいる。p84

最後の座談会でも、ボランティアをあてにしているブリーダーの話がありますが、実際にそういう人が大勢いて、これからも増える可能性があることを懸念しています。だから、この毎日新聞連載の最後の取材では、わざわざ保健所を取材し、その意図を次のように説明しています。

私はもう1年前のように単純な気持ちで、犬との生活を人様に勧められない。簡単に犬を飼う人は簡単に捨てる。飲み物に毛が入るから、との理由で犬を手放す飼い主がいる。不妊手術をしていない飼い犬に何度も子犬を産ませ、そのたびにセンターへ持ちこむリピーターがいる。そんな話を聞き過ぎた。
人間の気まぐれで飼われ、捨てられ、センターへ収容された犬はどうなるのか。最後にそれを伝えてこの連載を締めくくりたい。


そして、実際にのぞき窓から見た、ガス室の中で12頭の犬が亡くなっていく様子が淡々と綴られますが、そのあとの最後の文章も、とても強い非難の気持ちを含んでいます。

多い日には30頭以上が処分を受けるという。それが日本各地のセンターでくりかえされている。一方でペット産業は大いに栄え、インターネットのオークションでは1円から犬が取引されている。
この社会は果たして健全だろうか。私たちは子供に「命を大切にしましょう」と言えるのか。
生きたい。そう叫んでいた犬の瞳を脳裏に焼きつけ、今後も考えつづけたい。p196


自分も犬や猫を可愛いという気持ちがあり、道端で歩いている野良猫をみるのも好きです。
しかし、そういう「可愛いと思う気持ち」と、「実際に飼うこと」は地続きではなく、責任や覚悟というジャンプが必要なのでしょう。
ちょっと蛇足ですが、だからと言って、(自分は家で飼えないからと)公園で猫を可愛がることも、大きな問題だ、と改めて知ることがありました。つい先日、マラソンをしていたときに見つけた看板は、野良猫の餌やりに対して非常に厳しいこと(猫にエサをやる人に不妊・去勢手術を強いる)が書かれていて、ここまで書くのか…と思いました。

しかし、今回本で読んだような保健所や保護ボランティアの状況を考えると、ここまで強い口調になるのも仕方がないのかもしれないと考えなおしました。


そういう状況もありながら、巻末の座談会などを見ると、ボランティアの方たちは、本当に犬が好きで、沢山の数の犬の世話を、わが子に注ぐ以上の愛情を持って行っているようです。犬や猫のことは耐えられる、疲れるのは人間とのトラブルと皆が共通して言っているのが面白かったです。


『君と一緒に生きよう』は名タイトル。犬と生きる喜びと、それに付随する厳しさ、その両方を伝えたいと考えた森絵都さんの意図がよく表れているし、人と犬とが同じ目線で生きている感じがします。
「生きる」というのは、楽しいことばかりではない。でも、一緒にいることで何かが変わっていく。自分も犬も変わっていく。そこに生きているという実感が生まれてくるのかもしれません。「何でペットを飼うのか」という自分の疑問に対して、ひとつの答えを示してくれた本でした。

参考(過去日記)

→授業参観で見た保健所の番組の話を枕にしています。ペットだけでなく動物園についても最近になって興味が出てきました。

→ちょうど一年前に読んだ本。そして川崎市の事件から1年過ぎたのですね。

→「魔性の一冊」という紹介は改めて凄い。一気に読める本でした。