いろいろと結びつけて書きたい作品や本もあるけれど、まずはシンプルに感想を。
最終回の感想
最終回は、求めるハードルが低かったこともあり満足しました。(ハードルが低くなったのは前回までで、前半で提示した全部を解決する気はないんだな、ということがわかったからです)
前回(第10話)が、想のウジウジしたところがMAXになって終わりましたが、ラストでは想が、紬の声に固執せず、自分の声を出すことへの恐怖感を脱し、つまりは今の自分自身を受け入れ一歩先に進むことが出来た、という流れとして見ました。
長い年月が過ぎているにもかかわらず、紬に理不尽な態度を取った第9話の想に苛々した部分もありましたが、青春時代を音楽とともに過ごした想にとって、中途失聴の自分を受け入れるのは本当に辛かったのだろうと思い直しました。
誰と誰がくっついて誰と誰が別れたというのではなく、紬、想、湊斗、奈々、春尾先生というメインメンバー、そして想の母も含めて皆が前向きに進んでいけるようなラストで良かったです。あまりLoveにこだわらず、それぞれのStoryを大切にした終わり方というか。(穿った見方をすると、映画化スタンバイOKな終わり方とも言えます)
「かわいそう」という台詞と炎上騒動について
(ここから少しマイナスのことを)
ただ、最終話になって、「耳が聴こえないのは”かわいそう”ではない」、という台詞が2人の口から語られ、今それを言う?という違和感があったのは事実です。
ここまでドラマを見ている視聴者には既に伝わっていることを、わざわざ言葉にするのは野暮過ぎるし、ドラマに多くの人が期待したことと比べて、ややレベルの低いメッセージだと思いました。(ドラマ前半では、聾者と聴者のコミュニティをどう繋げるかみたいな難しいテーマが提示されていたように思います)
また、想が高校2年生のときに体育館で読み上げた作文が最後まで取り上げられ、作文のタイトルにもあった「言葉」というものが作品のテーマだったということが重ねて示され、改めて最終回直前に放送され炎上した『ボクらの時代』における、脚本家の生方美久さんの発言が気になってきました。
生方:『silent』とかまさにそうですけど、日本語じゃないとつながらないものがあるじゃないですか。同じ言葉だけど、違う意味で使う、シーンによって違う意味とか、人によって違う意味でとらえられる言葉とか。あれって日本語じゃないと意味がないものを私はすごく使っていて。もし海外で翻訳されたら、海外の人には伝わらないんだっていう悲しさがちょっとあるくらい。
生方さんは、「私は、日本のドラマとして、日本語の良さとか、日本語の面白さ、ある意味残酷さみたいなものを書きたい」と、脚本家としての思いを語りました。
『silent』生方美久×村瀬健P×風間太樹監督「見てよかったと言われる最終回に」 - フジテレビュー!!
番組HPの書き起こしでは、説明書きでお茶を濁していますが、このあとの発言は「私は日本のドラマとして、日本語の良さ、日本語の面白さ、ある意味、残酷さを書きたいから、ぶっちゃけ海外って興味ない」「海外で配信されても、すごいんだ、おめでとうって思うだけですごいうれしいってない。日本人に見てほしい。日本語が分かる人に見てほしい」。
自分は、元々、TVerで、村瀬プロデューサーが『silent』のことを得意気に語っているのティーザー動画が出て来て不快に思ったこともあり、村瀬Pと生方さん発言への不快感は「切り取り」が原因かもしれないと、確認するように、TVerで後追いでこの番組を見てみました。
実際に見てみると、村瀬プロデューサーは、業界人風な空気はまといつつも、若い二人(監督:風間太樹と脚本:生方美久)を立てながら上手く番組を進めていて、むしろ好印象に変わりました。
風間監督も生方さんも仲良さそうに話しており、3人の関係性から、ドラマ制作の雰囲気が伝わってきて、想像していたよりずっと良い番組でした。
ただ、問題の箇所の発言は、やはり炎上も仕方ないという内容と思いました。
わざわざ、「日本人に見てほしい」「日本語がわかる人に見てほしい」とダメ押しする意味がちょっとよくわからないし、「言葉」がテーマのドラマで、しかも「手話」をモチーフにした作品にそぐわない内容だと何故気がつかないのか。
多くの人が感じた通り「ガッカリ」する発言だと思いました。
また、最終回まで見ると、多くの人が指摘する出生前診断のくだり*1も、全く入れる必要のないエピソードでした。想が遺伝について検索するような場面もあったように思うので、もしかしたら映画でしっかり題材として扱うつもりなのかもしれませんが、何も回収されないとザワザワしてしまいます。
ドラマから何を受け取るか~これから読む本
とはいえ、自分はドラマや映画に対して多くを求めすぎるのはどうか*2とも思います。
自分や家族が傷つけられるような内容でなければ、それをきっかけにして自らが能動的に動けば得られるものも沢山あるからです。
特に今回はtwitterで、色々な立場の人がtwitterで『silent』について呟くのを目にして、色々考えることが出来てとても良かったです。
映画作品では、今さら『コーダ あいのうた』を観ました。
また、漫画『僕らには僕らの言葉がある』を通じて、ろう文化にもっと興味関心が湧きました。
同じ野球漫画として『遥かなる甲子園』を20年ぶりくらいに読み直そうと思っています。
中でも、ラジオ荻上チキsessionの特集「言語学者と考える「手話」とコミュニケーション~松岡和美×荻上チキ×南部広美」がとても良い内容でした。「日本手話」と「日本語対応手話」の違いは今回はじめてしっかりと理解できました。
リンク先から全文が読めますが、特にこのあたりはとても興味深い内容でした。
私も今はあたかもよく分かっているみたいに話していますけど、そういうことが段々わかってきた頃には聴者として非常に驚いたというか。そうなんですか?!って。例えば「音のない世界」という表現に違和感があると「ろう者」の人は言っていて、「『音のない世界』って言われたらあたかも(音が)ないとダメみたいじゃないか」と言われて、驚いたことがあります。「音があるべき世界の中で(音が)ない」という考え方のコミュニティと、「ないのが当たり前、それがどうした」みたいなコミュニティがちゃんとあって、そこ(後者)には目で見る言語があり、目で見る文化があり、ろうの赤ちゃんが生まれたら、また1人(仲間が)増えたと心から喜ぶ人たちの世界が、同じ国の中にあることへの新鮮な驚きはやっぱりありましたね。
このあと、『コーダ あいのうた』への賛否両論についても語られていますが、松岡和美さんの本は読んでみたくなりました。
それ以外もドラマに関連して読みたい本を羅列。
ということで、元はと言えば映画『LOVE LIFE』から導かれるようにして『silent』を観ましたが、やはり自分の興味関心を広げて新たな世界を見つけるのは楽しいです。来年も色々な作品に出会えることを願います。