Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

それぞれのリトルホンダを育てるということ~長沢栄治監修『13歳からのイスラーム』

イスラームについての本を読むのは久しぶりだ。
過去のブログを振り返ると、5年前くらいに少し固めて読み、それ以降は、本としてはあまり読んでいなかった。
ということもあり、今回、リハビリがてら易しそうな本に手を出してみた。
この本の目次は以下の通り。

第1部 イスラームの教え(イスラームムハンマドコーランを知ろう ほか)
第2部 イスラームのくらし(イスラームの生活;さまざまな子どもたちのくらし)
第3部 イスラームと世界(イスラームの広がり;イスラームと他者 ほか)
第4部 イスラームのいま(元気を取りもどしたイスラーム;女性が切り開くイスラームの未来 ほか)

「13歳から」と題してあるだけあり、非常に読みやすく、あとでも取り上げる通り、歴史よりも現代のムスリム(人)について取り上げていることで、親しみがわくように出来ている。
それだけでなく、何点か、この本だから気がつくことのできた部分があると感じた。

宗教の授業とリトルホンダ

自分は、これまで、イスラム教(この本ではイスラームと統一して記述)には厳格な戒律があり、それは、信仰というよりも「人生マニュアル」のように機能するため、決断を「神まかせ」に出来る気楽さがあるのかと思っていた。
つまり、すべてを個人の自由に任される(そして個人の責任になる)「生きづらさ」が、むしろ緩和されているのではないかという印象を持っていた。
ところが、この本で、実際のムスリムの人たちの暮らしや考え方について読み、その考えを改めた。

例えば、この本の第二部では、小中学生のムスリムのくらしが取り上げられるが、それぞれがどのように考えているのかについても記述がある。

  • マラワンがいちばん強くイスラームについて考えるのは、サッカーの試合の前や学校の試験の前です。よい結果が残せるよう神様に祈るとき、いつも以上に神様の存在を感じるそうです。(エジプトの中学3年生男子マラワン)
  • 最近では、自分で選んだ覚えのない宗教を信仰し、それに従って自分が生きることに疑問を抱いています。小さいころはがんばっていた断食月の断食も、やらなくなりました。それでも、学校の友だちや先生がイスラームについてまちがったことを言ったり偏見をもった発言をしたりすると腹が立ちます(日本の中学3年生らな)
  • イスラームについては、学校が休みの土曜日にトルコ文化センターで学んでいます。文化センターでは、コーランの暗唱のほか、イスラームが大事にする価値観などについて勉強しています。毎日礼拝を欠かさない、とはいきませんが、ヴェフビは自分では信仰心が篤いほうだと感じています。神様のことをいちばん強く考えるのは、礼拝をしているときと、学力テストなど結果が問われるときです。(アメリカの小学6年生男子ヴェフビ)

これを読むと、厳しい戒律というイメージはなく、いわゆる「神頼み」的なタイミングで神様のことを考える点は、日本の小中学生と変わらないかも、と親しみを覚える。*1

その一方で、彼らに比べて、日本人は「よい生き方」について、考える時間をあまり取れていないかもしれないとも感じた。
このことに関連して、第2部のまとめでは、次のように書かれている。

先祖代々イスラームを信仰してきた人も、改宗した人も、なにがイスラームとして正しいことなのか、ムスリムはどのように生きるべきかを、自分自身で考えていかなければなりません。イスラーム聖典であるコーラン預言者ムハンマドの言行録であるハディースだけでなく、学校の宗教の時間に習得する知識、両親や親戚、身近なおとなや友人などまわりの人たちに教わったこと、テレビやインターネットで得た情報など、さまざまな知識や情報に触れながら、日々考えていく必要があるのです。(略)
自分の信仰の良し悪しは「神様だけが知っている」。これは、ムスリムがしばしば口にする言葉です。ある人間が熱心なムスリムか、いい加減なムスリムなのかは、周囲からの見た目で判断できるものではない、という意味の表現です。そしてまた、信仰とは自分と神様のためにあるもので、他の人間のためにするものではない、という意味でもあります。p86

これを読むと、僕らが小中学校時代に「道徳」などの科目名で学んだ内容は、いわば「どうすれば周囲から良く見られるか」の方に偏っているように思う。
「自分の信仰の良し悪し」、すなわち「自分の信念」や「生き方」について、真の意味で考える時間は、自分を振り返ると、実際にはほとんどなかったように思う。
また、自分自身もそれが苦手でずっと避けてきた、という思いもある。
日本で「宗教」や「信仰」が受け入れられにくいのは、物差しが常に「自分と周囲」にあり、「自分と自分の中の絶対的な何か(神様)」という視点が少ないことに理由があるのかもしれない。
以前、本田圭佑ACミランへの移籍会見のときに「心の中のリトルホンダがACミラン入りを希望していると答えた」という発言し、その後、リトルホンダはある意味「ネタ化」した。*2
しかし、国が違えばリトルホンダがいるのが「普通」なのであって、それがぼんやりしている方がおかしいのだろう。
その意味では、本で取り上げられていたムスリムの小中学生のほとんどが学んでいた「宗教の授業」は、それそれのリトルホンダを育てる授業なのかもしれない。

そのほか

そのほか、歴史についてもまとまっていて読みやすいが、パレスチナの歴史を読むと、やっぱりイスラエルがダメじゃんと思ってしまう。この辺は理解が浅いのでもっと勉強したい。
また、第4部で取り上げられているイスラーム金融(利子なし銀行)やムスリム・ファッション(新タイプのヴェールの流行)、男女平等の方向へのシフトの話は面白い。産業や生活の中でも、ムスリムの人は、コーランの教えをどう守るか、日々向き合う場面があるのだろう。
最終章のまとめでは、寛容と共生の大切さについて、イスラームの指導者も声を上げているという話がある。

現代という時代に他者を排除し、他者との共存を否定して生きていくことはできません。イスラームを現代や人類の未来にふさわしいものとするために、私たちはイスラームの思想を改革していかなくてはなりません。『宗教には強制があってはならない』という教えは、コーランの精神の最も基本的なものですp165

最近の日本の宗教二世の問題にも通じる、至極もっともな意見だ。
「寛容と共生」という言葉は、「他人に迷惑をかけない」を信条とする日本人からすると、ある種、波風立てない無難な処世術のようにも取られかねない。
しかし、常に心の中にコーランや神があり、それとの対話の中で生き方を吟味していく人の立場からすると、「寛容と共生」は全く別の意味を持ってくるし、非常に高い理想と言える。
自分の中のリトルホンダ(しつこいが)と同じように、変わらない、譲れないものを、相手も心の内側に持っていることを前提で、それを尊重して共生するのは、「迷惑をかけない」のとは全く異なる。
ここで掲げる「寛容と共生」は、ムスリムの人にとって困難な理想だが、それ以上に、日本人にとってさらに高いハードルと言える。自分の中に確固としたもの(リトルホンダ)がなければ、そもそも相手のそれを尊重することが出来ないからだ。
自分はそれに気がつくのが遅れてしまったが、宗教について知り、自分との対話を進めることは、多くの人と関わって生きていく上で、ずっと続けていかなければならない大切なことだと感じた。
つまり、ネタ的に扱わずに、それぞれのリトルホンダを育てなければならない。
それはとてもとても重要なことだ。

これから読む本

イスラームについてより深く知るために、巻末にたくさん参考文献が挙がっているが、まずはコラムでも取り上げられていたこちら。


また、参考文献に挙がっていなかったが、大川玲子さんの本が自分の関心に合い、読みやすそうだ。


そして何より、東京ジャーミーに行ってみたい。場所は代々木上原ということで行きやすいし、日本最大のモスクが撮影も可能というそれだけで興味津々。土日は日本語ガイド付きツアーもあるということで、是非参加してみたい。
tokyocamii.org

参考(過去日記)

pocari.hatenablog.com

*1:ただし、イスラームは非常に幅が広く、1事例だけを見て全てがそうだと思わないように、ということは、本の中で繰り返し書かれている。

*2:本人も「面白おかしく扱うのは違う」と苦言を呈している→本田圭佑が“リトルホンダ”の定義に注文「おもしろおかしく言ってくる人がいる」 | ゲキサカ

『さかなクンの一魚一会』×『さかなのこ』

学ラン姿で釣りをするのん


そのビジュアルに一目惚れして待ちに待った映画『さかなのこ』*1
まずは原作で予習を済ませて万全の体勢で迎え撃った。

さかなクンさかなクンの一魚一会』

この原作は本当に良かった。
さかなクンの半生を辿った自伝ということになるが、何より読んだ印象がテレビで見るさかなクンのまま。
ということはつまり、読む前から、書いてあることが予想ができるということ。

  • さかなクンは小さな頃から魚が大好きで、ずっと魚の絵ばかり描いていた
  • そんなさかなクンに両親は「勉強しろ」なんて言わず温かく見守ってくれた
  • 小学校の卒業文集の将来の夢は「水産大学の先生」
  • 中学生の頃に、学校で飼っていたカブトガニの人工ふ化を成功させた

この辺りのエピソードはまさに想像通りの話だが、そうでないところも沢山あった。


まず、さかなクンが最初に夢中になったのは車。
小2のときに初めてタコを知り(この辺の感覚がよくわからない。それまでタコの概念を知らない?笑)、夢中になる。
毎週末、母親に連れられて水族館に通うが、朝から閉館時間までずっとタコの水槽の前にいて、他の水生動物に気が向かなかった!!
その後、ウマヅラハギが好きになり、そこからやっと魚介類全般に興味関心が移る。


ところが、さかなクンは「ずっと魚」の人でもない。小学生時代はギターと剣道を習っていた。
面白いのは中学校での部活決め。「魚系の部活がいいな」と思っていたさかなクンは、その名前から「水槽」楽部に入ることを決めたのだ。その後、中学ではトロンボーン、高校ではバスクラリネット。そして今でも楽器は続けていて、氷結のCMでスカパラと共演したのを見たことがある人も多いだろう。
このときのバスクラリネットのエピソードが異常だ。高校生になったさかなクンは、楽器店で吹かせてもらったバスクラリネットが欲しくなり母親にお願いして買ってもらう。なんとその額47万円!
「出世払いで返すから!」という言葉は、実際には高校時代に達成されてしまうのも驚き。さかなクンは、高校生時代にTVチャンピオン5連覇を果たし、その賞金で返したという。なお、一回目の挑戦では決勝で負けてしまったが、視聴者からのリクエストが多く、再び挑戦し、優勝したというエピソードもよくわかる。Youtubeを探すと、高校生時代のさかなクンを見ることができるが、喋り方や表情が今とあまり変わらず、当時から「さかなクン」だ。


全体として面白いのは、数々の魚系失敗。
子ども時代は、同じパターン。

  • 友だちのおじいちゃんに連れられて行った岩場で念願のタコを獲ったものの、持ち帰って飼おうと思っていたタコはその場でおじいちゃんに叩きつけられ内臓を取り出され下処理をされる。
  • 寿司屋の水槽に入っていたウマヅラハギを持ち帰って飼おうと思い「ウマヅラハギちゃんをください」と言って、その場で刺身にされる。

さかなクンの凄いのは、そこですぐに転換して「美味しい!」と思えるところ。また、TVチャンピオンの問題が、「魚の食材あて」が多かったようで、「食べる」特訓も相当積んだよう。


中学以降は、飼おうとして失敗、という話もいくつか出るが、印象に残るのは、学校で飼育したカブトガニの初代カブちゃん。死んでしまったカブちゃんを剥製にするために持ち帰るのだが、においが強烈で周りの人も避けるなか持ち帰って、泣きながら風呂場で処理するシーン。ここの部分は、においが伝わってくるようでさかなクンは文章も上手だなあと感じた。(バスクラリネットの良さを伝えるところもとても良かった)


ここまで魚ひとすじで頑張ってきたさかなクンでも進路に相当苦しむ。

  • 水産大学:数学ができないのでチャレンジすらできない
  • 水族館:水産系の専門学校で、2度実習の機会があったが、バックヤードの仕事などでミスばかり。
  • 寿司屋:おにぎりみたいな寿司になってしまう
  • 熱帯魚:どうやって育てればうまく行くかを考えるのが好きなので適性はある。実際店長にも「バイトじゃなくて正社員を」と言ってもらうところまで来たが、大事に育てた魚はすぐに旅立ってしまうという「ドナドナ状態」が辛く諦める

結局、寿司屋に頼まれた店の壁画が評判を呼び、絵の仕事がメインになり、さらにTVチャンピオン時代を知る人も多かったため、TVの世界に入ることになる。
最初は上手く行かず、自分は喋ることが苦手だからと思っていたさかなクンを覚醒させたのが、あのハコフグの帽子だったというのもいい話。


最後にさかなクンはこんなことを言っている。さかなクンが言うからこそ説得力があり、とても伝わるメッセージだ。

好きなこと、夢中になれるなにかがあると、毎日がワクワクでいっぱいになります。「もっと知りたい。」と探求心がでてきます。そして調べれば調べるほど、「へえ、そうだったんだ!」「おもしろい!」と、感動や夢が広がり、自分の世界もまた、自然と広がっていくのです。(略)
夢中になれるものがあると、それは心の支えにもなります。落ちこんだときにとても大きな力をくれます。

さかなクンによる魚イラストも多く、それだけで楽しい気分になる。
老若男女問わず、色んな人に薦めたくなる本だった。

沖田修一監督『さかなのこ』

実は『一魚一会』を読んだあとで初めて予告編を見た。
お、「カブトガニ」やるんだ!
でも、不良の抗争もやるんだ…(原作にない)


ということで脚色があるのは知っていたが、とにかく原作にない話が目白押しで驚いた。
特に、

  • 小学校時代の同級生で、今は子連れのホステスのモモコ(夏帆)が独り暮らしのミー坊のうちに転がり込む話
  • 歯医者に依頼されて待合室の水槽のコーディネートを依頼される話
  • 幼馴染のヒヨが、テレビ局に勤めて、そのツテで番組出演を果たす話
  • 家では、「あじのほね」茶?を飲んでいるという話

あたりは、原作を読んでいない人は信じてしまいそうだが、そんな話はない。
そして一番、あれ?と思ったのは、映画では、ミー坊*2の父親と兄は高校時代以降は一緒に住んでいないということ。しかも母親(井口遥)は、どうも水商売で働いているっぽい。実際にはどうなんだろうと思ってWikipediaを調べると、父親がプロの囲碁棋士という、全然別のところで驚いたが、そんな事実はないようだ。パンフレットでも特に言及はないが、何でだろう?


そして度肝を抜かれたのは、「ギョギョおじさん」として登場するさかなクン


…なのだけど、その前に、役者の話。今回、ミー坊の小学生時代(当初、のんが演じる案もあったらしいが)を演じた子役の西村瑞季さんの演技+キラキラ感が素晴らしく、のん以外で選ぶなら、この映画のベストアクターではないか。
特にタコを捕まえる話とその後のタコを食べるときの表情が特に印象に残っている。

さなかのことが大好きなミー坊は、同級生からは変人扱いされている「ギョギョおじさん」に、「ぼくのおうちに来ないか?」と誘われる。
(これは行っちゃダメなやつ…)と見ながら思うのだが、井川遥はまたもやミー坊の気持ちを大切にした結果、ミー坊はギョギョおじさんの家に…。

とは言っても、さかなクンは、カマキリ先生のように悪さ*3はしないよね…と思っていると…。
結局、ミー坊もギョギョおじさんも魚の絵を描くことに夢中になって、気がつけば21時。警察に通報され、パトカーに乗っていくさかなクンを、ミー坊は泣いて追いかける。このときにギョギョおじさんからハコフグ帽子をもらったことが最後に繋がるのだけど、パトカーのシーンで小学生時代が終わるので、なかなかの扱い。
原作者が、カメオ出演しているのに、実質的に「変質者扱い」される映画ってなかなかないのでは。

なお、さかなクンの演技はすごかった。のんもギョギョ!とか言ってそれも違和感はないんだけど、さかなクンの安定感、本家本元感は次元が違う。


という感じで、話の内容は全然違うんだけど、最終的に「好きなことをどんどんやっていこう」というメッセージが全面に出た作品になっているのは原作と同じ。さかなクンとのんは、やはり根本が似ているから伝わってくるものも似てくるのかもしれない。


一番好きなエピソード&キャラは籾山。
2校の喧嘩シーンで、すぐ近くに泳いでいるイカを獲りたいと思った皆は、敵高校のリーダー「カミソリもみ―」として知られる籾山(岡山天音)のメッシュ地の下着を漁網として使ってアオリイカを捕獲し、ミー坊がその場で捌いて食べることに。
籾山は「アニサキスが怖い」というが「アオリイカにはアニサキスはいない」とミー坊が説得して食べさせる。
このときの感動が後々、籾山が自ら寿司屋を開くことに繋がる。
モモコの魚好きの娘の話もだが、映画では、ミー坊ひとりの人生ではなく、ミー坊が色々な人の人生に影響を与えていることに話がシフトしている。自伝的小説を映画化する際の方法としては、確かに一番必要な方向性だろうなと感じた。


観た直後の感想は「とても変な映画」だったが、振り返って考えると、割とちゃんと作ってある映画なのかもと思い返した。最初の「豪邸で目覚めるのん」と、「ギョギョおじさんに会ったら親指を隠して帽子を褒めて逃げなくちゃいけない、捕まったら魚人間に改造される」と噂され、最後パトカーで連れられて行くさかなクンの印象が強すぎたが、それに引っ張られ過ぎた。
パンフレットを読むと、監督が皆から好かれている様子も感じられ、原作が大好きな『横道世之介』もちゃんと観なくちゃと思いました。


なお、CHAIの主題歌「夢のはなし」(エンディングでしか流れない)はカッコよくって驚いた。
CHAIは37セカンズの映画主題歌が良かったけど、あの頃に聴いた時は元気過ぎる感じがしたが、それが落ち着いたような。もう少し楽曲を聴いてみたい。

*1:あと、ポニョが好きだから深層心理的にタイトルで惹かれたというのもあるのかもしれない。

*2:映画内では、主人公は「ミー坊」という呼称で統一

*3:2022年9月現在、カマキリ先生糊塗香川照之がホステスへの性加害について告発されて番組やCMを降板している。笑いごとではない。

「しかたがない」と犠牲を強いてきたのは誰か~平井美帆『ソ連兵へ差し出された娘たち』

戦争の話というと、1945年8月15日を機に終わり、その後は混乱期のどん底から立ち上がっていく。そのイメージが強かった。*1
しかし、ラジオでフィリピンや中国の残留孤児について扱った映画『日本人の忘れもの』について聞き、8月15日を日本国外で迎えた人たちのことは気になっていた。


一方、満州国については、終戦まで日本が支配していた地域という程度の知識で、本当に知らないことばかりだった。例えば、冒頭で、作者は次のように書くが、ソ連兵の「蛮行」についても全く知らなかった。

日本で教育を受けた人ならば、学生のころに一度は、満州でのソ連兵の「蛮行」は耳にしたことがあると思う。戦勝国側のソ連兵が、一方的に日本人女性を襲ったという性暴力である。しかし、現実にはより複雑な、集団内の支配関係による強いられた犠牲があったのだ。こうした点は、日本の男たちが語ってきた満州体験からは見えづらい「闇」であった。p17


以下では、まず、1章から4章の内容について歴史的事実を追うようにして簡単に整理する。

  • 農地開拓を目的とした満州開拓移民は、村から一定の戸数を集めて一つの団として創出し、満州にもうひとつの村を作るという「分村移民」という方法を採った。これにより海外移住へのハードルが下がり、女性と子どもの移住が容易となる。村での集団の人間関係がそのまま移転されることになり、農村特有の美風とされた「隣保共助」も移住地に受け継がれた。黒川開拓団は、岐阜県加茂郡の基本的に黒川村の村民により組織され、現在も吉林省にある陶頼昭(とうらいしょう)を入植地とした。
  • しかし、実際には「開拓」とは名ばかりで、現地の農民(「満人」と呼ばれた)を追い出す形での移転であり、追い出された多くの者は、食べる手段も見つからないまま流浪の民とならざるを得なかった。一部は開拓団にクーリーとして雇われる者もいた。
  • 1945年8月8日に、ヤルタ秘密協定を基に、ソ連は日本に宣戦布告を行い、満州国への侵攻を開始する。この際に虐殺に近いことが行われ、8月14日にはソ連軍の戦車隊によって日本人千人以上が犠牲となる「葛根廟事件」*2が起きた。
  • 同時に、あちこちで暴徒化した現地民による略奪が発生する。黒川開拓団の隣の来民(くたみ)開拓団では、暴徒による略奪に対して必死で防戦したがそれもかなわず集団自決の道を選んだ。
  • 黒川開拓団も9月下旬に暴徒の大群に囲まれる。残りの物資を奪われると零下30度の冬を越すことはできない。団幹部は治安維持にあたるソ連軍に援護を求め、その後、襲撃は収束に向かう。しかし代わりに下っ端のソ連兵が物取りに、そして強姦にやって来るようになる。
  • そこに「接待」が発生する。団幹部は、ロシア将校に兵隊が来ないように頼み、女性たちが将校の「接待」をすることで守ってもらうことになったのだ。「接待」役は、未婚であり、数え年で18歳以上であることを条件に、15、6名が担うことになった。接待役に回らなかった若い女性は「風呂焚き」係や「洗浄」係となった。
  • 1946年3月から4月にかけてソ連軍はようやく中国東北地域から撤退を開始し、中国共産党八路軍と国民政府軍との内戦が表面化する。陶頼昭は最前線となり、八路軍は現地に残る日本人を労働力にあてがうようになる。
  • このタイミングで団を離れ、先に引揚げ船に乗り帰国できた者もいる。それ以外の黒川開拓団の人たち、は集団引揚げのため、陶頼昭を離れ、新京(満州国の国都)に向かう。途中、鉄橋が爆破された川を渡るのに現地人に船を出してもらうにあたって、「通行料」として、またもや女性たちの提供が交換条件に使われた。
  • 集団引揚げにも入らず、八路軍に留め置かれ、長く労働力として用いられた女性もいた。日本人の引揚げ事業は1946-1948年で一旦中断。中華人民共和国が1949年10月に成立したあと日中の民間組織のあいだで結ばれた「北京協定」により中断していた集団引揚げが1953年3月から再開した。作中の主要人物では、善子、久子が1946年8月に帰国、開拓団の集団引揚げは1946年9月。最年少だった玲子は1953年に帰国している。勿論、満州にいた日本人全体を見れば、戻れず「中国残留婦人」となった人もたくさんいる。


ここまで(第1章から第4章)で200頁。みんな日本に戻ってきたのにここから100頁もあるのかと思っていたが、このあとが重い。

第5章 負の烙印

  • 彼らは生きて帰ったことを歓迎されない。敗戦後の食糧難では周囲の態度はそっけなく、親戚からも嫌がられる。むしろ、1940年代後半、引揚者やシベリア抑留から帰還した元兵士は差別され、「引揚者」「シベリア帰り」などの言葉は差別的な意味で用いられた。さらに、未婚の若い女性たちの苦悶はまだこの先にあった。

この辺りから、この本の本題に入って来る。5章は、弟妹を引き連れて開拓団より先に日本に戻った善子の話が最初にある。

一年ほどして「私は人間じゃなくなった」と情けない思いをして日本に帰ってきたんですけど、帰ってみれば、「引揚者」「満州でけがれた女」と誰も問題にしてくれないし、村そのものでもね、「満州から帰ってきた女はあれだから、汚い」。それこそ、私たちは皆、お嫁にいくところもない、それで一生お嫁にいけなくて死んでしまった人もいるんですね(p203、善子の言葉)

セツによると、慰霊祭が終わって少人数になったとき、団幹部だった三郎は善子に、「減るもんじゃないし」と言葉を投げかけたという。(略)
久子は相手の名前こそ出さなかったが、戦後落ち着いてから、善子は団にいた男と二人になったとき、こう言われたと話していたそうだ---、「ロスケにやらせたくらいなら、俺にもやらせてくれよ」(p210)

日本に残っていた村民だけでなく、辛い日々を共にしたはずの仲間たちがそのようなことを言う。ましてや、「団幹部だった三郎」というのは、彼女たちの「呼出し係」で、「接待」に行く彼女たちを一番近くで見ていた人物なのだ。


さらには、開拓団より先に善子と一緒に戻った弟・虎次(満州にいたときは中学生)の発言が追い打ちをかける。
虎次の初恋の相手は、同じ黒川開拓団にいた鈴子という女性で、帰国後しばらく経ってから仲良くなった。手をつないだこともなかったが、3年ほど付き合ったある時、同級生だった男から「鈴子は、松花江を渡るときに強姦された」という事実を知らされ、衝撃を受ける。そして、その一件で鈴子との未来は一瞬にして消えた、という思いを、よりにもよって善子に話していたというのだ。
作者の平井さんから叱責されてたじたじとなる虎次の様子が情けない。

私は虎次に向き直り、目を見て言った。
「お姉さんはソ連兵の接待に生かされたり、中国人兵に犯されたり、鈴子さんと同じ目に何度も遭ってきたわけじゃないですか。そういうことをお姉さん本人に言ったら、お姉さんがどういう気持ちになるかわからなかったんですか。お姉さんは傷つくじゃないですか。だって、お姉さんだって、被害に遭った人なわけですよ」(略)
「鈴子さんはそういう性暴力の被害者なわけじゃないですか。彼女自身が、何かやった側ではないですよね。虎次さんは何が傷ついたんですか?なぜ、鈴子さんのことを松花江での出来事を知ったからといって、嫌いになったんですか」

ここからは、黒川開拓団を率いていた男たち(団幹部の人間)に焦点が当たる。

引き揚げてから黒川開拓団の遺族会を立ち上げたのは藤井三郎と藤井軍平。初代遺族会会長には藤井三郎が就き、30年あまりにわたって、会長を務めた。
しかし、1980年頃、慰霊祭後の酒席で、三郎が善子を貶める言動をした。
「おまえはロモーズ(ソ連兵)が好きやったで」
善子は激怒して抗議するも三郎は謝らず、そのような言動がきっかけなのか、三郎は遺族会長を辞めることとなった。

短期間の二代目を経て三代目となったのは藤井恒で、敗戦当時は12歳だった。
藤井恒が会長だった時期に、いくつかの刊行物が遺族会から世に出る。

  • 元団員の満州体験を集めた『あゝ陶頼昭』(1981年3月)
  • 戦後初めての慰霊の訪中の感想集『陶頼昭を訪ねて』(1981年10月)

これらは内輪向けの記録でもあり、団への批判は影を潜めており、「接待」について直接は誰も触れていないが、団幹部ではない男たち数名が「犠牲」という言葉を使って(知っている人が読めばわかる程度に)言及している。しかし、団幹部の記述には一切ない。

軍平の記述からは、あくまで開拓団結成を推し進めたのは村長で、自分は被害者だったと伝わってくる。しかし、村長の右腕として活動していた彼は、むしろ支配体制側にいたのではないか。それなのに、満州移民として、自分たちが国策の「盾」に使われたことは強調しつつ、自分たちが団の娘を「盾」に使ったことには一切触れていない。そのことが逆に不自然に感じられた。
軍平による一つひとつの記述ではなく、文章全体から発せられる空気に私は寒々とした。この淡々として無機質な空気感において、「接待」が行われたことが透けて見えてきたのだ。p238

それでは当事者たちはどうだったか。遺族会文集は、三代目遺族会長の藤井恒が原稿を集め、掲載するものを選び編集もした。善子が自ら「接待」について記した寄稿について「こんなものは載せられない」と恒から何度も掲載を断られたという。結局「接待」の事実は長らく表に出ることがなかったのだ。

第6章 集団の人柱

第六章は、最年少で「接待」に行かされた玲子の話になり、「差別」構造には、さらにその奥があることを知る。
玲子はもともと黒川の人間ではないこともあり、遺族会とは距離を置き、善子とさえも帰国してから一度も会っていない。この理由について、平井は以下のように想定している。

  • 玲子にしてみれば、本部にいた善子は「接待」を強いた側に近いと思った
  • 同級生の久子は、善子の訴えで接待役から外された
  • 玲子には「接待」の前後、風呂に入れてもらった記憶がなく、団からの待遇に差があった
  • 慰霊祭に一度顔を出したが、誰からも「ご苦労様」の一言もなかった

そしてもう一つ決定的な出来事があった。玲子には「接待」とは関係のないところで、団幹部から満人に売られたという被害体験があるのだ。

玲子は差別されたとよく口にするが、差別とは「接待」そのものではないのだという。「接待」に行かされる回数などに差はあったものの、黒川村の娘も同様のことをさせられた。だが、満人が名指しで玲子を連れ出そうとしたのは、自分がよそ者だったからと玲子は考えていた。p273

平井の取材がきっかけで、2016年に一度だけ玲子が遺族会接触する機会があった。
三郎の息子である現遺族会長の藤井宏之、そして三郎の妹の娘である菊美(難民生活当時は10歳くらいで「接待」には出されていない)とだ。
その際に、玲子は、満人への斡旋の一件について怒りを爆発させるが、菊美は団幹部の側に立ってそれに応える。これについて平井は次のように書く。

玲子の指す「差別」は、団幹部の家族が語ることのできる満州の姿に現れている気がした。子どもが差別したわけではない。私が居たたまれない気持ちになるのは、団幹部の家族や親戚の女性たちがとても親切で、「いい人」だからである。誰かをいじめる気持ちや「接待」を隠す気持ちなどさらさらない。
ただ、集団内で親に力のある子は知らず知らずのうちに守られ、隅に追いやられていた者たちの見えない傷に無自覚でいられた。そして、そうした無自覚さは、引揚げ後も続いているように思えた。p274

これ以降、これらを踏まえての、作者の平井自身の思いが、怒りがどんどん前面に出てくる。

人身御供の選定にあたっては徹底して、いまだ他の男(主人)の”所有下”にないからといって、未婚女性だけを差し出した。これもまた、団の指導者の決定だった。ソ連兵からすれば、言葉も通じない若い女が既婚か未婚かはわからないのだから、この点については団指導者たちの意思決定に他ならない。p280

この流れで、平井は『あゝ陶頼昭』から元団員の回顧録を抜粋する。そこでは、「共同と相互扶助の精神」があったから生きのびたという書き方がされているが、「生贄にされた者」のことは見過ごされてしまっている。さらには、回顧録ではソ連兵引揚げの際に、別れを惜しむほど敵味方を超えて「男たちの連帯感」が生まれていたことについても取り上げている。特にコメントがないが、犠牲となった女性たちのことが頭にあれば、到底書けない文章だと言っているのだ。

個人的には、この部分は読んでいて非常に怖かった。というのは、こういった順序で読まなければ(「接待」の事実を知っていても)何の問題も感じずに流してしまう可能性が高いからだ。そこに色々な差別に共通する問題(気づかずに差別をする側に回っている可能性が大いにあること)を感じる。

しかし、平井の怒りの根本もここにある。生贄を捧げるのは「しかたがない」のか。もしくは「しかたがない」と当事者の前で言えるのか。
黒川で複数で話をしていたとき、「接待」について語るときの平井の口調に憤慨を見た遺族会の女性が牽制するかのように「非常時だから」と言ったことに平井は衝撃を受ける。

「非常時だから」と言った女性は戦後生まれで、満州へ行っていない。三郎の親戚にあたり、自分の娘もいる人だ。彼女は深い意味なく口にしたのだろう。しかし、その言葉は私の時を止め、頭にこびりついてしまった。非常時だからしかたがないのであれば、非常時ならばまた同じようなことが起こるということだ。しかも、この一言を発したのは、人身御供にされた側ではなかった。
彼女の発した言葉に、私は肯定を見てしまったのだ。
そのわずかながらの受け容れ、あるいは「しかたがない」は彼女だけでなく、多くの者の心の内に眠っているのかもしれない。
しかし、その許容には、根拠なく設定されている前提条件がある。
自分が犠牲にされない限り、である。p286

間違いなく自分も「自分が犠牲にされない限り」という条件付きで、「しかたがない」「やむを得ない」という判断をしてしまうだろうし、「非常時だから」という言葉で当時の判断を擁護してしまう気がする。

この章後半は、慰安婦の話題について触れていることもあり一連の流れを読んで何度も思い浮かんだのは、橋下徹慰安婦発言だ。

近現代史を勉強して慰安婦ということを聞くと、とんでもない悪いことをしていたと思うかもしれないが、当時の歴史をちょっと調べれば日本軍だけでなくいろんな軍で慰安婦制度を活用していた。銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で命をかけて走っていくときに、どこかで休息させようとしたら、慰安婦制度が必要になることは誰だってわかる。
慰安婦問題などを巡る橋下氏の主な発言: 日本経済新聞

橋下徹の言い方は「しかたがない」を超えて「当然だ」という域に達し、完全に開き直ってむしろ力強さがある。

論が立つことを売りにする人は「人権」をわざと軽視するような発言をすることがあり、先日のひろゆきの発言*3も思い出される。

自分はここまで酷いことは思っていないぞ、という比較のために橋下徹の事例を出したが、「しかたがない」という結論は共通するので、「同じ穴の狢」なのだろうか。今後、「しかたない」「やむを得ない」という言葉を使うとき、それが「自分を集団の外においた上で、弱いものから生贄に捧げていく構図」になっていないか、気をつけなくてはと思った。

終章 現代と女性の声

終章は、テーマを少し広げて「女性差別」という視点から、書籍化にあたっての男性的視点からのダメ出し等も明らかにしている。例えば「証言者の本意とは離れている」という指摘も多く見られたため、女性差別という話に広げても大丈夫かということを玲子にも改めて話を聞いている。

国の歴史施設や歴史資料を見ても、男性に比べ、女性の満州体験は取り上げられにくい。また、黒川村でも、善子が文章を遺したいと手を挙げても遺族会長に拒否されてしまった
結果として、こういった問題が温存してしまうのは、女性への性暴力や差別がかかわる事象への集団的無意識、「見て見ぬふり」があったからだという指摘ななるほどその通りと感じた。すなわち、ソ連兵へ差し出し犠牲を強いたのは「団幹部」だけでなく、「見て見ぬふり」に加担した男たちが含まれるということだ。

このような無意識は、差別を生む問題についての知識がないことによって生まれやすくなるだろう。したがって、多くのことを学び深めていくことによって、無意識は避けることができるはずだ。
引き続き勉強は続けつつ、どこまで行っても「知ったふり」をしないで謙虚に前に進んでいければと思った。

*1:ただし、8/15以降もどんどん状況が悪くなる作品を一冊だけ読んだことがあった→シベリア抑留について描かれた漫画『凍える手』

*2:2021年にドキュメンタリー映画も公開されている

*3:香川照之が起こした性暴力事件について「キャバクラなど風俗は、性的被害や嫌な思いをする事で高い給料が貰える仕事です。セクハラが嫌なら風俗で働くべきではないです。『他の仕事が出来ないので選択肢が無い』という人は生活保護をどうぞ。『キャバクラで働いても性的な被害を受けない』というのは嘘です。」

カモン!(少し)高いところ!~『東京もっこり散歩』×『東京 街なか山さんぽ』

丘を越え、行こうよ。古墳、築山、富士塚もっこりでほっこり。

日本の国土は山地が多い。
富士山を筆頭に、3,000m 級の山々が連なる日本アルプスから、
高尾山など都心からのアクセスの良い低山まで、実に様々な山がある。
大都会と称される東京でも、奥多摩に行けば緑の稜線がどこまでも続いている。

それらの山の登山やハイキングコースを紹介する本は数多く出版されているが、
本書はそれらとは一線を画す“超" 低山のガイドブックだ。
超低山とは高さ10m 未満だったり、高くてもせいぜい70 mくらいだったりする、あっという間に登れてしまう山のこと。
その山は、あなたの通う会社や学校へのルート上に、あるいは自宅のすぐ近くにあるかもしれない。
だが、そんな小さな山でも、歴史あり自然ありと見どころに溢れている。

さあ、登ってみよう、街なかの超低山を。
見晴らしは山によって様々だが、ひとつ言えることは、登ればきっと、いつも歩いている街並みとは違う景色が広がるということだ。


週末、マラソンの練習がてら、あちこちに走りに行っているが、高い場所があったらとりあえず登ってみる。
「馬鹿と煙は高いところが好き」という言い方もあるが、やっぱり高い方が眺めがいいからなのかな。
取り上げる2冊の本も、そういう「高いところが好き」な人に向けた本なのかもしれない。もっと、高いところに行ってみたい。


初版は「山さんぽ」が2020年12月、「もっこり散歩」が2020年9月、ということで、完全に企画が被ってしまったように見える2冊だが、以前からこのジャンルの本はあり、2018年出版の『東京まちなか超低山』の新装版が2021年に出ているから、ブームが来ているということなのかもしれない。


『東京もっこり散歩』は、「古墳系」(11か所)、「お山系」(5)、「富士塚系」(12)と対象を3分類するが、全28か所と対象は少ない。曖昧カテゴリーの「お山系」は、箱根山毛呂山公園、石神井城址、旧芝離宮の大山、浜離宮の御亭山のみだが、古墳、富士塚と雰囲気が似ており、企画意図が明確で、文章も読みやすい。


『街なか東京山さんぽ』は、大きくは地域で分類し、東京23区(24か所)、多摩(11)、神奈川・埼玉・千葉(9)。それぞれ「街なかの山」「築山」「富士塚」「里山」のカテゴリーに分類された44か所に加え、番外編として古墳7か所を加え計51か所。全体地図と、見やすいイラストマップと合わせて、近隣情報も充実しており、行先を考えるガイドとして使いやすいが、もっこり散歩に比べて文章はシンプル。


「山さんぽ」は、副題に「超低山ガイド」と言っているのに、この括りから外れる「里山」を加えてしまっている段階で、当初想定した企画意図からブレが生じている可能性があり、「もっこり散歩」の方が軸がしっかりしている気がする。古墳を番外編として分ける理由もよくわからない。
また、掲載点数からすると、「もっこり散歩」に載っているものはほとんどが「山さんぽ」に載っているかと言えばそうでもない。行ったことがあれば絶対に紹介したい、見た目が「ピグモン」(ガラモン)の東葛西 中割天祖神社の中割富士塚は「もっこり散歩」にしかなく、その意味では、「超低山」を網羅できているのは、「もっこり散歩」の方かもしれない。
ただし、共通して紹介されている板橋区の「茂呂山公園」は、「もっこり散歩」では、「毛呂山公園」という誤表記で紹介されている。しかも文章では、近くにある遺跡名は「茂呂遺跡」で「漢字が違う」と触れられており、わざわざ「茂呂山」ではなく(旧町名の)「毛呂山」なのだと強調されているので、思い込みなのだろうか。


ということで、コンセプトはよく似ているが、中身はそれぞれ異なる2冊の本。
写真集的に楽しむなら『東京もっこり散歩』(写真:芳澤ルミ子)、ガイド的に活用するなら『山さんぽ』という言い方もできる。
『東京まちなか超低山』は以前に読んでいるが、今回の2冊を見たあとだとどう感じるか、新装版を改めて読んでみたい。

やっぱり行きたいピグモン富士塚

やっぱり今回の2冊で一番行きたくなったのは、中割天祖神社の中割富士塚
でも、場所が江戸川区東葛西という、都内で最も行きそうにない場所なので困る。
ピグモン富士塚」で検索すると、トップでブログが出てくる有坂蓉子さんは富士塚に詳しく、富士塚についてはこれを読めという本も出しているようなので、こちらも読んでみたい。


行きたい(近く)

ランニングコースとして加えられる範囲として、基本的には旧東京市よりも西側エリアから、気になるスポットを抽出してみた。
【】内は「も」が「もっこり散歩」、「山」が「山さんぽ」。

  • 野毛大塚古墳(世田谷区)【も】:等々力渓谷のすぐ近くで、少し離れて写真を撮れば古墳とすぐにわかる。(もっこり散歩の表紙写真上段)一度行ったはずだが、久しぶりに行きたい。
  • 武蔵野府中熊野神社古墳(府中市)【も】:ここも行ったことがあり、外見としてはインパクトがあるが、展示館が併設されているのは知らなかった。
  • 高倉塚古墳(府中市)【も】:分倍河原駅のすぐ近くとのことで、近くを通り過ぎることが多いという意味で寄りたい場所。
  • 池田山公園(品川区)【山】:品川から目黒に連なる城南五山(御殿山、八ツ山、島津山、池田山、花房山)のうち規模が最も大きい山。「池泉回遊式庭園」という書き方をされているから、それなりに立派な場所なのか。
  • 品川富士(品川区)【山・も】:レインボーブリッジが望める、都内の富士塚で一番の眺望。神社は訪問済みのはずだが、もしかしたら富士塚に登っていないかも。用攻略。
  • 佐伯山緑地(大田区)【山】:本門寺公園から大森寄り。挙げておいてなんだが、池上本門寺の方が魅力的かな。(高低差もある)
  • 西向天神社(新宿区)【山】:箱根山(戸山公園)は2度行ったことがあるが、近くのこちらは未だ。セットで訪れたい。
  • おとめ山(新宿区)【山】:高田馬場の北側にある公園。行ったことがあるが、一部分だけだったので一周してみたい。新宿区では新宿中央公園に次ぐ規模の公園とのこと。
  • 成子富士(新宿区)【山・も】:区内6つの富士塚で最大。見た目がゴツゴツしていて面白い。新宿区のやつはセットで行きたい。
  • 和田山(中野区)【山】:名称は和田義盛の陣屋を構えた伝承から。哲学堂公園妙正寺川付近のみしか見てないので、全体を攻略したい場所。成子富士やおとめ山とセットで行けそうか。
  • 八坂神社の中里富士(練馬区)【山・も】:  練馬区は電車では行きにくいが直線距離だと何とかなる。南の鳥居越しの眺めが日本画のようだとされており、その美しさを確認したい。
  • 清水山の森(練馬区)【山】:同上。大泉富士とセットで行こう。23区唯一のカタクリ群生地があり、3月~4月の一時期のみ開放しているという。
  • 中里富士塚清瀬市)【山・も】:ここも遠いが、ゴールを東所沢におけば、悪くない場所。以前、改修中で行けなかった東久留米駅の富士見テラスとセットで行ってみたい。
  • 三角山(清瀬市)【も】:野火止用水沿いの浅間神社。同じ清瀬市でも中里富士塚とは離れており、ルートを少し考える必要。
  • 滝の城址所沢市)【山】:武蔵野線沿いだが、東所沢駅新座駅のちょうど中間に位置するのが残念。上の中里富士塚とセットで行きたいが…

参考(過去日記)

pocari.hatenablog.com
ここで紹介している『東京周辺ヒルトップ散歩』は丘陵や里山を対象とした本で、スポットの紹介というよりは、コースの紹介がされている。
やっぱりこれらと「超低山」はカテゴリーが違うと思う…。(里山は好きなので、その情報が入っている分は文句はないのですが)

pocari.hatenablog.com
もっこり散歩」は、こちらの本で知ったが、写真をメインにしているという意味では、『見つける東京』と『東京もっこり散歩』は似ている。

井上荒野は君に語りかける~井上荒野『生皮 あるセクシャルハラスメントの光景』

小説講座の人気講師がセクハラで告発された。なぜセクハラは起きたのか? 家族たちは事件をいかに受け止めるのか? 被害者の傷は癒えるのか? 被害者と加害者、その家族、受講者たち。当事者の生々しい感情と、ハラスメントが醸成される空気を重層的に活写する新たな代表作。


あらすじにある通り、被害者、加害者だけでなく「ハラスメント*1が醸成される空気を重層的に活写」したところがこの本の特徴。
被害者の気持ちが最も大切にされるべきではある。とすれば被害者の発言を中心に物語を組み立てるという考え方もある。
しかし、どれだけ勇気を振り絞って被害者側が告発しても、告発された側を被害者とみる人が出てしまう。小説の読者は、ある意味では週刊誌の記事を読むようにこの物語を「消費」してしまうかもしれない。
だからというべきか、先回りするように、告発に踏み切った咲歩を糾弾し、小説講座の講師である月島を擁護するような登場人物が多く登場する。


ポイント的にしか登場しないが、恋人と急に上手く行かなくなり、「女性の身勝手」を苦々しく思う大学生の三枝真人はセクハラ告発のニュースにつけられたコメントにこう思う。

みんなの言う通りだ。なんで7年も経ってから言い出すんだ。ホテルへ行けば何が起こるかわかっていたのに、なんで何度も呼び出しに応じたんだ。p95


男性だけじゃない。小説講座の受講生は女性を中心に、悪いのは月島ではないと(小説講座を続けてもらうための)署名運動を起こす。
彼女たちは告発に対してこう感じる。

「ようするに月島先生と付き合ってて、うまくいかなくなったとか、先生が奥さんと別れてくれないとか、そういう理由で逆恨みしてるんでしょう?」

講座中に、それをにおわす相談(実質は、助けてという声)があったことに対しても「ノロケ」と捉えてしまう。

「自慢でしょ?それ。誰かに聞いてほしかったんじゃない?自分が先生と付き合ってるって」


加害者にあたる小説講座の講師・月島は、小説を志す人それぞれにとっての書くべきテーマを見つけることが巧い。その人にとっての空白、欠落とどう向き合うかを指摘することで、作家の個性を引き出していく。
だから、小説家を目指す者にとっては精神的支柱として全幅の信頼を置かれる立場になる。
月島擁護の署名を集める加納笑子(70代女性)にとっても、たった一言のアドバイスで月島はメンターとなった。そんなことを言ってくれる人は今までだれ一人いなかったのだから。


それ以上の「確信犯」もいる。

自分たちと先生の関係はそんな陳腐な言葉があてはまるようなものではない(p218)

俳句結社で、俳句会の重鎮と、性的関係を持つ(しかも複数の相手が結社内にいることも知っている)池内遼子はそう言う。
しかし一方で、「これは一種の恋愛関係なのだ」と自分を偽ることで自らを傷つけてもいる。先生の望みにしたがって「新たな犠牲者」を出すことに加担したりもしており、冷静に考えればおかしいのだが、自らの行動が見えなくなっている。


小説内では、加害者にあたる月島光一の視点、内面描写が非常に多い。
しかも、月島光一には魅力的な部分がある。良い小説を世に送り出すことに対しては妥協しない。小説が本当に好きで、全精力をそれに傾ける。立場を利用して作家を食い物にする邪悪な人間という風には書かれない。
月島の「情熱」を読んでいると、特に男性的な感性では、彼の繰り出す「言い訳」に納得が出来てしまう部分がある。実際、身の周りにはこういうタイプの人もいる。


良い小説を出したい。
月島のその気持ちを、小説家も共有しているし、月島にはそれに向けた技術もある。
そこで上下関係が生じ、支配欲が生じる。月島にとってはその支配欲と性欲は不可分で、良い作品のためには、それも含めての「共同作業」が必要だと本気に思っている。
常に出世や成功のために行動選択をする人間は、相手の行動原理も同様だと考える。月島はある意味では「純粋」な人なので、2人の女性の告発を理解できないだけだが、告発を売名行為と考える人や、「売れるんだったら寝る」と簡単に言えてしまう人はこのタイプなのだろう。


そんな風に、被害者に味方しない人物が多数登場する中で、小荒間洋子という決定的に重要なキャラクターが前面に出てくる。
彼女は、小説講座出身で芥川賞を取った一番の出世頭で、月島と行った取材旅行で一度関係を持っている。咲歩の告発に困った月島光一は、小荒間との対談で、咲歩の誤解を解こうとし、事前の打ち合わせでこのように語る。

つまり、俺たちが一時的にそういう関係だったこと、君の口から話したほうがいいんじゃないかと思うんだよ。恋愛だったのか、そうでなかったのかわからないけど、とにかく俺たちはそうしたくてそうなった、そういうことを君の言葉でさ。大人の関係、小説的関係、そういう言葉を使ってもいいと思う。うん、大人の関係よりは小説的関係のほうがいいかな。p161*2


これに対して、一度は「わかりました、やってみます」と快諾した小荒間が「転向」し、釈明のために設けた対談は、一転して、実名での告発の場となる。
先に挙げた俳句結社の女性のように、「納得ずく」で共犯関係にいる人に対して、小荒間は、そのような「盲目」状態からの脱出について自らの経験を語るのだ。


小荒間の話は最後に引用するとして、今回最も強く感じたのは、加害者男性と被害者女性の認識の違いの根本にあるもの。
月島にとっては「その夜の出来事」は、あくまでも小説制作の「過程」であって、過ぎてしまえば忘れてしまえる程度の些細なことである。

告発した咲歩に対する「7年も前のことを」という反応は、彼にとってその事実が心を占めていた時間がいかに短時間だったのかを表し、彼女を7年間も苦しめていたことに思いが至らないことを示す。外野から見て同じ反応をする人も同様だ。


「一夜の思い出」VS「7年間にわたって自身を苦しめるもの」。
この「認識のずれ」を、様々なタイプの読者に理解してもらうために、多様な登場人物を配置するだけでなく、井上荒野は読者に語りかける。


咲歩の夫である俊。彼が4歳で亡くなった弟の27回忌に出るシーンがある。このように小説の中で、繰り返し「身近な人の死」が取り上げられるのは、「性被害」の苦しみを、そう理解してほしいからだろう。そのことばかりを始終考えるわけではないけれど決して頭から離れることはない。そういうものとして。
小荒間洋子がレイプ被害のことと合わせて心に蓋をしていた死別した夫との子の「堕胎」の事実も同様だ。
人の死と同等に扱われるほどの大きな問題であることを改めて知る。


ラストシーン、小荒間洋子が丁寧に説得していくようにして言葉を綴る。
「セクハラ」などではなく、それは略奪で、暴力だ。
色々な立場の人の心(性暴力に対する解釈)を動かすような力が、この小説にはあり、井上荒野の熱意をそこに感じた。

そのほかの被害者1

なお、告発をした2人は直接の被害者だが、他にも被害者がいる。
柏原あゆみは、直接の被害に遭う前に小説講座を辞めた。
小説家を志し、作家と担当編集者というかたちで、同種の状態になった妻の月島夕子。彼女の場合は、妊娠を機に月島と結婚し小説家の夢を諦める。しかし、夫の不倫を見て見ぬふりをし、娘からも愛想をつかされてしまう。
娘の遥も、当然心の傷を負う。


そして何より咲歩の夫・俊。妻がレイプされていたことを知った彼の喪失感に男は共感しやすい。月島が、娘の遥から「私がそういうことをされたらどう思うか」と問われるシーンも、男性読者に向けた言葉だろう。

そのほかの被害者2

小説で扱われているのは性暴力の話だけではない。
月島の27年前のエピソードの中には、(著名作家の別荘の新築祝いの)パーティーの場で、性体験の告白を強いられて、辞めてしまった編集者の話が出てくる。月島からは「幼稚な女」、ベテラン女性編集からは「いい迷惑」「せっかく盛り上げたのに、あの子のせいで白けちゃった(p270)」と言われたい放題だが、そうなのか。
もしかしたら咲歩や小荒間洋子のような当事者だったかもしれない。


月島の娘・遥は、恋人の経営するバーで、客からのセクハラ発言を日々受け続け、そこから抜け出すことを選択する。(p249)時に自らも加わってしまう「風景みたいな」会話だが、そんな風にして自分を偽り続けることで、何かが削られていく。


話したくない言葉を強いられるのは、言葉の暴力なのだ。
性的な話題ではなく、「何か面白いこと話せ」も同じだろう。
言葉ではない暴力も、その延長上にあると理解した。

小荒間洋子の言葉

私はね、あれは恋愛だったと思い込もうとしていたの。小説を教えるということは、その相手とある種の恋愛をしなきゃならないということだ。私と寝たあと、月島は講義でそう言ったのよ。(略)
そのあとも私はしばらく彼の小説講座に通った。このときの心理は、咲歩さんが複数回ホテルに行ったときと似てると思う。小説講座に行くのをやめたら、あれが恋愛ではなかったことになってしまう、と思ったのよ。もっとはっきり言えば、私はレイプされたことになってしまう、と。レイプに間違いなかったのに。p285

彼がしたことは、私の皮を剥ぐことでした。私は最近、そう考えるようになりました。彼が自分の行為について、それに似た言葉で正当化していたということもあります。私に小説を書かせるために、私がもっといい小説を書くために、俺はお前とセックスしたんだと彼は言った。私は彼に生皮を剥がされた。でもそれは、私自身が私の中を覗き込み、自分の皮を剥いでいくこととは違います。全然違うんです。
もし私が彼を愛していたなら、彼と寝たいと思っていたなら、あの行為は彼が言うような意味を持ち得たかもしれません。でも、私は彼を愛していなかったし、彼と寝たいとは思っていなかった。彼が何のためにそうしたかとは無関係に、彼がしたことは略奪です。暴力です。彼は私の皮を剥いだ。無理矢理に。その皮はいまだ再生されていません。皮を剥がされた体と心は未だに血を流しています。ヒリヒリと痛いです。どうにかしようとして、上から何か被っても、その下でずっと血が流れているんです。今もそうです。
いつかはあたらしい皮膚で覆われるときが来るだろうと信じたいです。でもそれはいつなのか。そんなときが本当に来るのか。彼から生皮を剥がされた痛みに、私は一生耐えていかなければならないのかもしれません。p291

次に読む本

井上荒野の本は、『あちらにいる鬼』に続いて2冊目だったが、圧倒的に読みやすかった。*3
直木賞作品『切羽へ』を次に読んでみたい。

*1:セクハラという言葉は、問題を矮小化するだけで、レイプという言葉を使うべきという話も出てくる。セクハラという言葉は軽い。

*2:この部分は、月島の発言の中では最も醜悪な部分。結局、保身かよ、という。

*3:何か忙しかったため、感想を書いていないのは残念

ラスト1ページの衝撃~今村夏子『星の子』

今村夏子の作品には前々から興味があった。
特に、豊崎由美×大森望の「文学賞メッタ斬り」の芥川賞予想の企画(ラジオ)で、候補作に入るたび、豊崎由美の「読む楽しさ」がこぼれ落ちるような評が尋常でなかったことが大きい。
さらに、枡野浩一×古泉智浩podcast「本と雑談ラジオ」でも新作が発表されるたびに俎上にあがり、これまた2人して楽しそうに話しているのを聞いていた。


そこに来て『こちらあみ子』が映画化。映画を観に行くなら原作を読みたいなと思っている間に、公開から少し時間が過ぎてしまった。
そんなとき、こちらも映画が気になっていた『星の子』が宗教2世を扱った作品と知る。このタイミングでこそ響くこともあるだろうと考え、まずは『星の子』を読んでみることにした。

実読

ちひろは中学3年生。病弱だった娘を救いたい一心で、両親は「あやしい宗教」にのめり込み、その信仰が家族の形をゆがめていく。野間文芸新人賞を受賞し本屋大賞にもノミネートされた、芥川賞作家のもうひとつの代表作。

面白い。特に会話文がテンポよく読みやすい。
しかし何より、ラストに衝撃を受けた。


そんなことないよね、そんなことないよね…
と直前まで打ち消した展開に、最終的になってしまう。
想像したようなことが全く何も起きないのだ。


特にこのタイミング*1だから、「衝撃」を受けたのかもしれない。


両親が「あやしい宗教」にのめり込んだ中学3年生の女の子が主人公。
そう聞けば、話の展開は以下の2択だろうと決めつけてしまっていた。

  • 子どもの頃は気にせず両親の言うことを聞いていたが、「周囲から見た自分」を意識するようになり、両親を受け入れられなくなっていく。しかし周囲の助けを得て何とか両親の世界から脱出することが出来た。(ハッピーエンド)
  • 両親を受け入れられなくなっていくが、何度脱出しようとしても両親の手に絡めとられてしまう。将来の展望が全く見えないままだが、何とか生きていくしかない。(バッドエンド)

まあ、普通に考えたらハッピーエンドの方だろうと思ったが、『星の子』はどちらにも当てはまらない。表面的には、以下のような、ハッピーエンド「っぽい」終わり方となる。

  • 両親への違和感を感じることもあるが、家族3人はとても幸せ。これからも明るく生きていく。


結局、自分は、小説に「物語」を求めており、その時点でかなりバイアスの入った見方をしていたのかもしれない。

  • 主人公は、作中の出来事を経て成長・変化するものだ。
  • そして、主人公が宗教2世であれば、そのことについて思い悩み、何かの方向性を見出すのだ。
  • そういう作品を読むことで、自分が宗教について考えるきっかけを作れれば…。

そういうのは結局こちらの都合だった、ということだろう。

ただ、文庫巻末の今村夏子×小川洋子の対談で語られる小川洋子の読みは自分に近い。(というか世間一般の読者のほとんどの読み方だと思う)

「ああ、いよいよこの子は、この世界から飛び出していくときが近づいているんだな」と思ってしまう。(略)
「この子が世の中に出たら大変だろうな。新しい家庭をつくっても、安心して里帰りできるのかな」とか。

そもそも色々な伏線は張られている

  • 両親の宗教的行動(「かっぱ」事件)を学校の先生に見られて、クラスメイトの前で指摘され、ちひろは泣くほど恥ずかしい思いをする
  • 家は引っ越しを繰り返すたびに小さくなっていると、ちひろが感じている
  • ちひろは、彼女を救い出そうと助けてくれるおじさんの家に近い高校への進学を希望している
  • おじさんは、それをきっかけに、ちひろを預かると両親に申し出て交渉を続けている
  • ラストシーンの舞台「星々の郷」では、就寝前の時間まで、ちひろと両親はお互いを探しながらもすれ違って会えない状態が続く
  • やっと出会えた父親は、これまで「水」の力で風邪さえひいたことのなかったのに、鼻をすすり体調が悪そうだ


だから、小川洋子の見方で押し切ると、3人で星を眺めて終わる一見3人が仲良さそうなラストだが、やはり高校にあがるタイミングで、ちひろは両親のもとを離れる。わざとそれを書かないことで余韻を残しているのだ、とも考えた。


しかし、対談での今村夏子の言葉を追うと、彼女自身は、ちひろを「救おう」とは思っていなかったようだ。

私が最初に考えたラストは、(教団エリートの)海路さんと昇子さんが草むらの陰にいて、もしかしたら、ちひろは取り込まれるのかもしれない、という予感を漂わせた終わり方でした。(略)
この小説では「この家族は壊れてなんかないんだ」ということを書きたかったので、ラストシーンに登場させるのも家族だけにしました。

つまり、「あやしい宗教」が問題を抱えていることは意識しながらも「宗教にハマった人」(=敵)として両親を扱わず、あくまで「ちひろを大切に思っている人」(=味方)としての両親を描きたかったということのようだ。
読者としては、ちひろを両親から解放してあげたかったが。

ユーモア・会話文

さて、ラストを除けば、この作品の一番の特徴はユーモアと会話文だと思う。

南隼人先生は、わたしが中学3年生になった年の春に赴任してきた。始業式で初めて先生の姿を見たときは、おおげさではなくエドワード・ファーロングみたいだと思った。南先生は、エドワード・ファーロングの東洋版みたいだ。エドワード・ファーロングは、南先生の西洋版みたいだ。p81

エドワード・ファーロングの出現比率は異常に高い(笑)

わたしは、しゃくり上げながら、「南先生に送ってもらったときに公園で見た怪しい人、あれうちの親なんだ」といった。
「知ってるよ」となべちゃんはいった。「だって有名じゃん」
「…おれは知らなかった」と新村くんがいった。「おれは本当に知らなかった。そうか、あれ林の父ちゃんだったのか」
「ごめんね」
「あやまるなよ…。そうだったのか、おれてっきりかっぱかなにかだと思った」
「バカじゃないの」
となべちゃんがいった。
「まじなんだ。そんなわけないとは思ったんだけど、なんか全身緑色に見えたし、頭の上に皿のせてるし。それに隣のやつが水かけてただろ、皿の上に」

何事にも動じないちひろが傷つくシーンが2つあり、ひとつは落合さんちの引きこもりの息子・ひろゆき君に無理やりキスされそうになるシーン。そして、「エドワード・ファーロングの東洋版」である憧れの南先生に、クラスの皆の前で両親の宗教にも絡めて意地悪な発言をされるシーン。
この新村くんの「かっぱ」発言は、南先生に泣かされた直後なので特に印象的だ。
でも、南先生に馬鹿にされ、新村くんに「ひどい」ことを言われても、両親への「恨み」のような感情は浮かばず、会話にユーモアを感じさせるのは、ちひろが両親のことを好きだから。そう考えるとラストシーンは流れ通りとも言えるのかもしれない。

そのほかの作品

対談では、小川洋子が今村作品を読み解くキーワードとして「暴力」を挙げているが、『星の子』ではその要素は少ない。
挙がっている作品を見ると『こちらあみ子』や『あひる』にその色が強いらしい。
どうも『こちらあみ子』は、『星の子』と同様に、女の子が主人公ながら、もう少し「辛い」話のようなので、まずはこれを読んでみたい。
勿論、芥川賞作品ということで『むらさきのスカートの女』も。


そして何より、映画『星の子』。
映画は、小説よりも「物語」を求める圧が強いはずだ。この小説をなぞるような脚本であれば、観客からは非難囂々だろう。
何かのアレンジがされているはずなので、主演・芦田愛菜の演技と合わせて、そのアレンジ部を確認したい。
よく見ると、ジャケ写がラストシーンのようなので、星々の郷で、家族3人で星を眺めるシーンはあるが、それ以外に映画向けのラストを設けているのかもしれない。

追記

映画『星の子』観ました!

pocari.hatenablog.com

*1:時間が経ってから読むときのために補足すると、一か月前の7/8に安倍元首相が銃撃を受け死亡した。容疑者は、宗教団体「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」に母親(69)が多額の献金をしたとして、「団体のせいで家庭がめちゃくちゃになった」と供述。「団体の活動を国内に広めたのは安倍氏だと思って狙った」と動機について話している

楽しい仕掛けに満ちたびっくり箱のような本~横道誠『唯が行く! ー当事者研究とオープンダイアローグ奮闘記』

双極性障害の家族を持ち自身も発症の疑いを持つ大学生、唯(ゆい)は大学のサークル活動を起点として自助グループの運営にかかわるようになり、当事者研究とオープンダイアローグ(OD)を学んでいく。
発達障害、吃音、摂食障害LGBT、鬱、ひきこもりの親など、自助グループに登場するさまざまな困りごとを抱えた当事者たちのケースを通して、この物語は、対人援助職、当事者向けの実践的ケーススタディとなる。
一方で、物語は成長して大学で教鞭をとる唯先生による講義編へと展開する。
講義編では、「ユーモア」「苦労の哲学」「ポリフォニー」「中動態」などのキーワードを並べつつ、当事者研究、ODを基礎から丁寧に解説。さらに、ハイデガーアーレントバフチンの思想が交差する深みへと進む。
本編のほか、ほがらかタッチのへたうまイラストや、付録には「唯のひらめきノート」、荒唐無稽なゲームブックなどが収録され、読者はユニークな世界観を味わいながら、当事者研究とODを楽しく学ぶことができる。

これは面白かった。

講義編は難しいところもあったので飛ばし飛ばした部分もあったが、物語仕立ての部分は読み終えて、何となく全体を掴めた感じだ。
これまでも当事者研究やオープンダイアローグ、べてるの家の話はキーワード的に触れることが多く、本もいくつか図書館で借りて読まずに返したり、一部分だけ読んだりということを繰り返してきたが、今回は、学術的な部分を含めてまとめて読むことができたので満足度が高い。


「講義編」は、准教授になった唯が講義を行う形式をとる。
オープンダイアローグ、ナラティブ・セラピー、当事者研究、中動態などの概念の違いと類似点については、「物語編」のケーススタディーと合わせながらだと理解がしやすかった。
当事者研究キリスト教との関係や、AAにおけるハイヤーパワーという宗教的で、とっつきづらい要素(学生には「ハイヤーパワーって、怪しいヤツですよね」と言わせている)についても、(宗教に疎い)日本人としてどう捉えるかという観点から説明されていて納得しながら読むことができた。


また、特に、ちょうど先日見たばかりの『こどもかいぎ』とも重なるが、オープンダイアローグが「3人以上」の対話を推奨するという話が興味深かった。

一対一の対話は、たしかに既に「ダイアローグ」なのです。でもオープンダイアローグとしては不十分なんです。ひとつの声でもふたつの声でもなく、多数の声が響いてほしい。というのも、声がふたつだけならハーモニーを奏でやすく、つまり調和しやすく、結果的にモノフォニーとなってしまうからです。大切なのはポリフォニー、複数性の共存です。p153

オープンダイアローグの特徴は、自分の考えるビブリオバトルの特徴に通じるところがいくつかあり、ここで指摘されるような(一対一ではない)ポリフォニーの重視という部分は、まさにビブリオバトルの基本理念と共通する部分だ。
つまり、ルールではないが、投票行動がゲームの成立に影響するので2人で行うことは出来ない。さらに、同一書籍を読んだり等のハーモニーを求めることはせず、各人が言いっぱなしで、結果的にポリフォニーを重んじている。


それ以外にも、ビブリオバトルの現場を思い起こさせるようなエピソードがあった。
唯は大学のサークル「輪っか」だけでなく、社会人メインの自助グループ「蕣(あさがお)」にも参加して、月次で、当事者研究やオープンダイアローグアプローチ(オープンダイアローグをアレンジしたもの)に取り組む。
この自助グループ「蕣(あさがお)」には、様々な問題を抱えた人たちが参加するが、常連も新顔もいる。2月の会で、常連メンバーの不在から、唯が当事者研究会の司会を任されたときに、初参加者として、非常に扱いが難しい50歳くらいの人が来る。
この初参加者の人。自身に発達障害があり、ずっと「輪を乱すやつ」扱いされてばかりで、処方される薬にとどまらず、大麻覚せい剤にも手を出して何回も刑務所に入ったと吹聴する。常に上から目線の喋りで、相手の声を真正面から受け止めない。
相手への敬意が少ないままズケズケ物を言う初参加者は、ビブリオバトルでごくたまに見て肝を冷やす光景だが、物語の中では、この、いわば「厄介者」に対して、常連メンバーたちが次々と言葉をかけていく。彼も自らの問題に自覚的で、救いを求めてサークルに来たであろう「同志」だからだ。


一方で、しばらく参加しなかったりする人も多く(だから入ったばかりの唯が司会者となる)、人の出入りは激しく、簡単に「仲良しサークル」化しない。その中で、唯たち新しいメンバーは、次々と新しい手法(オープンダイアローグ・アプローチ)を試していく。
全体として、オープンダイアローグに「正解」があるわけでなく、実際の問題にうまく対処できるように試行錯誤を繰り返しているということがわかり、結果として教条的な本にはなっていない点がとっつきやすかった。
また、福祉課程を専攻している学生たちに触れた気持ちにもなれ、(繰り返しになるが)自分が参加するビブリオバトルの複数の団体を思い起こしながら、半ば自分の話として読むことができた。


なお、おまけ的ではあるが、この本の最大の特徴は、付録に収められたゲームブック(笑)

講義編では唯は大学准教授になっているが、本編では唯の大学二回生の段階で終わり、その後の唯の人生についてゲームブック形式で辿る。最初の分岐は、学術研究の道に残るか、福祉の世界に進むか、はたまた専業主婦となる。しかし、エンディングが幅広くて、ノーベル平和賞の受賞から他の星への移住、世界大戦から金属人間への変身まで。久しぶりに夢中になって番号を辿ってしまった。

こういった遊びの部分も含めて、まじめだけれど本当に「楽しい」本だった。「講義編」は折に触れて読み返したい。

参考(過去日記)

pocari.hatenablog.com
pocari.hatenablog.com
→こちらもビブリオバトルと結びつけて、当事者研究やコミュニケーション支援について書かれた本を取り上げています。