Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

友情!ダンス!アクション!インド独立!~S・S・ラージャマウリ監督『RRR』

ワクチン接種後に観る映画探し

今日は東京都庁に4回目のワクチン接種に行ってきた。
飛び石連休の中日の平日を予約したのは、新宿でワクチン接種後、90分くらいの映画を観て、ついでに花園神社(酉の市)に行って帰ろうと思っていたからだった。が、ワクチン接種後の10時台でちょうど良い映画が無い。


第一候補として挙がった『線は、僕を描く』(106分)も『犯罪都市』(105分)も12時少し前の回で少し待つ。『アフターヤン』(96分)は新宿では上映が無い。逆に『パラレルマザーズ』(123分)は10時ちょうど開始で間に合わない。
ちょうど10時30分頃から上映があるのは『貞子DX』(99分)のみで、導かれるようにしてこれを観るという手もあったが、本当にこれを観たいのか…と自問。


本当に観たい映画は何かを考え抜いた結果、
調布に戻って昼を食べてからであれば、11時20分開始での映画はちょうど良いのでは?
「179分」の映画でも、この人気作品なら途中で副反応が出て辛くなっても耐えられるのでは?
と思い、『RRR』を選択した。

RRR

まず、2人の出会いの場面が最高だった。
冒頭、ビームとラーマが、それぞれのアクションの凄さを見せつつ、2人はデリーへ。
すれ違いが続いたあとで、出会うのかなと思っていたら、鉄橋での列車爆発事故に巻き込まれそうな少年を見つけた2人は、数百m離れた距離でのわずかなアイコンタクトのあと、信じられない救出劇を!

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これ以降、よく考えると、友情を育むシーン、ナートゥダンスのシーンはあったが、2人で協力するアクションシーンはもしかしてラストまで無いかもしれない。
だからこそ、救出劇と同様に2人がアイコンタクトのみで作戦を伝え合う最終盤のバトルシーンは胸が震えるほどの興奮。
しかも二人が敵同士として殴り合う対決場面や、それぞれが瀕死となる状況を挟んだあとだから尚更。
肩車で敵を蹴散らす脱走シーンを経て、ラーマが一気に「神様」*1化して、弓矢を使いだす流れは、まさに神話を見てるよう。ポスターにも使われている、ラーマがジャンプしながら弓矢を放つアクションや、予告編でも出てくるビームがバイクを片足で踏んで起こしてから武器として振り回すアクションのシーンは、反則級にカッコ良い。
さらに、ビームがバイクに、ラーマが馬に乗って敵本拠地を目指す場面は、まさに出会いの場面をなぞっていて、頭のなかで2人のこれまでを振り返り感涙。


そしてダンス。
ナートゥダンスのシーンは、上にも書いた通り、ラストシーンを除けば、2人で協力して敵を打破するシーンなので気持ちが良いし、圧倒的にダンスが面白い。格闘技的な動きも入っているし、コミカルな部分もある。本当に見ていて飽きない。
そして、ロケ地がウクライナ・キーウのマリア宮殿だというのも驚きだ。

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そしてエンドロールのダンスシーンも楽しい。こちらはシータ姫が2人と同じくらい踊るということもあり、ナートゥよりも通常のダンスっぽかったかもしれない。この中では、歌と合わせて、インド独立に関係する偉人の肖像画が出てくるのは興味深かった。(ガンディーが入っていないというのは驚き。)
シータは、前半は「ヒーローを待つ女性」という、伝統的価値観に基づいたキャラクターだったが、ラーマを探しに積極的に行動に出る終盤では、ビームを導く重要な役割を担う。だから最後のダンスでメインに躍り出るのも納得。一方、もう一人のヒロインであるジェニーは見た目が可愛いだけの存在に見えてしまったので、マッリ救出の手助けをする等の活躍シーンが欲しかった。


なお、主役2人を比べると、ビームがより優しそうで、体型も若干丸みを帯びている(山のフドウっぽい)*2のに対して、ラーマは、筋肉がバキバキで、美形(北斗の拳ならリュウガ?)。このラーマは、冒頭シーンでは、警察官の帽子を被っているのだが、そこに感じるゴールデンカムイっぽい雰囲気がたまらない。今日は「いい推し」の日だというが、自分はどちらかと言えばラーマ推しの気持ちで映画を観た。
だから、ラストのバトルで、髪を振り乱して「神様」のようになるラーマは、帽子姿とのギャップがカッコ良過ぎて万々歳だった。



ただ、この映画の中ではインドが独立したわけではなく「戦いはこれから」という状況で話は終わっている。二人の主人公は、ともにインド独立運動の英雄で実在した人物だという。
2人がどのような人物であったかも知りたいし、この状態からどのようにインドが独立していったのかも知りたいので、インドの歴史もしっかり勉強してみたい。

参考(過去日記)

自分のインドのイメージは、この本によるところが大きく、かなり悪いイメージ。それを払拭できる本を読みたい。
pocari.hatenablog.com


あ、これもインドの本でした。
pocari.hatenablog.com

*1:ラーマは、ラーマーヤナに登場するラーマ王子、ビームも「マハーバーラタ」の5兄弟の次男ビーマという2人の神様のイメージが重ねられているという。

*2:主演のNTR Jr.は、「進撃のインド人」の動画でも知られるというので、そちらの動画(別映画からの合成)を見たら、本作よりもカッコ良い方向の味付けだったので、共演者とのバランスを考えての性格付けなのだろう。進撃のインド人の動画は本人も知っているとのこと→「進撃のインド人」は本人に届いていた!? 『RRR』主演NTR Jr. 来日前独占インタビュー!相棒・ラーム・チャランとのシンクロ率100%ダンスの撮影秘話は必見!! | 映画 | BANGER!!!

サザエさん症候群から抜け出したい~竹林亮監督『MONDAYS』

とある小さな広告代理店で働く主人公・吉川朱海(円井わん)は、「この仕事が終わったら、憧れの人がいる大手広告代理店へ転職する」と燃え上がる野心を持って仕事に取り組んでいた。しかし、次から次に降ってくる仕事で、余裕はゼロ。プライベートも後回し。月火水木金土日、休みなく働き続けていた、ある月曜日の朝。後輩2人組から、こう告げられる。「僕たち、同じ一週間を繰り返しています!このタイムループを、夢の出来事だと思って忘れないために、合図を覚えてください。鳩です…」。ひとり、またひとりと、「白い鳩」の合図に導かれ、タイムループの中に閉じ込められているのを確信する社員たち。だが、その脱出の鍵を握る永久部長(マキタスポーツ)は、いつまで経ってもタイムループに気づいてくれないのだった。

10月19日に観に行った。
先行公開期間中だったからか最終上映時間だったからなのかわからないが、久しぶりにパンフレットを買えなかった作品。
ということで、自分の中で区切りがつかずに、感想を書くのを放置していたが、そうすると全部忘れて「観なかった」ことになってしまうので、急いで感想を書く。


観る前は、もしかしたら『カメラを止めるな!』みたいな、あっと驚く仕掛けのある作品か?とも思ったが、純粋なタイムループもので、ループから脱出したらハッピーエンドという、本当に見る前に思い描いた通りのシナリオ。映画的な感動もあるけれど、「号泣」みたいなタイプの作品ではない。


ただ、ここで提示されるメインテーマは、自分にとっては「刺さる」作品だった。
僕らは、本当に、変わらない日々の繰り返しに疲れ果てるばかりで、本当はやりたいことを後回しに、もしくは塩漬けにしていないか、と。


この種の作品として、『ビューティフルドリーマー』なんかも「終わらない日常」を描いた作品として評価されるが、「文化祭」の前の繰り返しと「月曜日」の前の繰り返しでは、全く意味が異なる。
サザエさん』症候群などという言葉がある通り、自分なんかは、日曜の夕方から既に「月曜日」に備えて身構え、心に鬱が侵され始めている。(だから日曜日のライブはやめて欲しい、というのは心の底からの願い。)
だから、繰り返しが始まるタイミングを月曜日の朝に設定して、タイトルを『MONDAYS』としたのは本当に上手いと思う。


さらに、この映画が上手いのは、「このままでいいの?人生はすぐに終わるよ」みたいな、ある種、自己啓発的な、ありきたりのメッセージを、直接には出さず、部長の未完成の漫画内のキャラクターの台詞として言わせているところ。
しかも、ループするコメディがメインのストーリーの中で、サブリミナル的に小出しに見せられるので、ストーリーの流れに頭を使わない分、そのメッセージを真面目に受け止める気持ちになり、コメディ映画を観ながらも脳のバックグラウンドでは、自分を見つめ直すモードが並行して進行していた。


ということで、まさに、竹林亮監督(脚本も)の狙い通りに、自分にとっては「白い鳩」となる作品になった。時間の使い方を見直さないと。

コロナ禍の生活でも顕著に感じましたが、僕の生活ではたまに、これタイムループしてるんじゃないかと感じる瞬間があります。あれ、この議論前もしたよね!?とか、この仕事が終わったら全てが変わる!と毎回思っていたり。時間が過ぎるのはとても早いからこそ、今という時間にしっかりと向き合って生きていかなければとよく思います。本当にしっかりと向き合えた時に、初めてぐるぐるとしたループから螺旋階段になり、ゆっくり進んでいけるのかなとか想像しながら、また日々を繰り返しています。この映画が、見る人の心の窓に激突する白い鳩になることができれば嬉しいです。
fansvoice.jp

なお、役者さんは、みんな良かった。
特にポスターにも出ているメインの3人は、職場にいそうで、いつリアルな同僚が自分に「ハトです」ポーズを出してくるのか心配になってくる笑

連想で…

ところで、サザエさん症候群に関連していつも思い出すのは、そのものずばりのタイトルである倉知淳日常の謎ミステリ『日曜の夜は出たくない』。
2020年12月に15年ぶりの続編(4作目)が出ているということで、久しぶりに読み直してみようかな。

小説⇔ドラマの往復感想(ネタバレあり)~相沢沙呼『medium』×ドラマ『霊媒探偵・城塚翡翠』

もちろん書店で何度も見かけていたし、ミステリとしての評判も聞いていたので、その名は知っていましたが、清原果耶が主演、と聞き、ドラマを見てみよう、それなら小説も読んでおこう!
と思っていたらドラマ初回を迎えてしまいました。

ドラマ初回

そうして見たドラマ初回はとても良く、大満足でした。

  • 霊媒翡翠役の清原果耶が可愛い。ミステリアス、でもドジっ子という漫画のようなキャラクター。
  • 推理作家・香月役の瀬戸康史がカッコいい。グレーテルのかまど、鎌倉殿の13人のトキューサ(北条時房)役からは想像できないほどカッコいい。
  • あれ?目立たずに済むはずの役に何故か小芝風花。なぜ?

一刻も早く小説を読まなくては!と思ったのは、この小芝風花*1が理由。端役に見えるキャラクターを小芝風花が演じているのは後半の展開に大きく絡む人だからに違いない…と、小説を読んでストーリーを追った場合には確実に得られないだろうヒントが与えられてしまったためです。
また、トリック部分の説得力が十分ではなく、モヤモヤが残るというのも、小説で確認したいと思った理由。ドラマ化に際して必要な要素を色々と飛ばしてしまっているのでは?

小説

さて、小説の1話目を読んでみると、ドラマの内容は、かなり原作通りでした。
つまり、トリック部分のマイナスの印象はドラマの通りで、小説でそれを補填できませんでした。
さらに、2話目、3話目と読み進めても、どれもパッとしません。先に読んでいた息子からは、最終話がすごい、という話を聞いていたので、我慢していましたが…

  • そもそも3話ともトリックが弱く、説得力がない。
  • 翡翠さんのキャラクターも、あまりにも「少年漫画の理想の美少女キャラ」みたいな台詞や振る舞いで、(清原果耶が演じたら可愛いだろうと思いつつも)嘘くさい。
  • 香月は、カッコいい瀬戸康史を頭に思い浮かべつつも、翡翠さんに惹かれていく描写が、これまた少年漫画の主人公のようで気持ち悪い。

「男性がマフラーを巻いてくださったのなら、女性は無防備になるかもしれませんよ。その…、こんなふうに、目も閉じちゃうかもしれません。これなら、絞め殺せます?」
翡翠はそう言って、キスでも待つみたいに瞼を閉ざし、微かに顎を上げた。
白い首が、なめらかな丘陵を描いている。
フリルで飾られたブラウスの胸元が、無防備に開いていた。p235


香月と翡翠のイチャイチャ展開、これいる?
これでは、最終話でどんなにすごいどんでん返しがあったとしても、マイナスを払拭できないのでは?うるさ型のミステリファンが納得できるような展開にできるのか?そう思いながら読んでいました。

どんでん返しについて(以下、完全ネタバレしてます)

これはすごい展開!という時にいつも思い浮かべる作品があります。
それは、麻耶雄高の『●●』という作品です。また、エラリー・クインの『●●』も驚いたので、読む前の予想では、「あのライン」なのかな、と思っていました。*2


ところが、今回、それに全く思い当たらないまま「その時」を迎えてしまったので、「香月が犯人」ということが明かされたときは、心の中で歓声をあげ、ガッツポーズをしました。(自分は、「途中で犯人が分かった」ことよりも「ギリギリまで犯人が分からなかった」ことに喜びを覚えるタイプです)
そもそも、最初に書いた通り、ドラマ初回での瀬戸康史(香月)の印象がカッコ良過ぎたので、完全に犯人とは切り分けて考えていました。また、小芝風花の起用の意味がわからなかったので、むしろ彼女が犯人なのでは?という奇妙な予感に嵌まってしまったという部分もあります。
小説の中で「犯人」は、男性の名前付きで登場しますが、それが女性だとしたら仰天するのでは?と思ってしまったことも大きいです。(わざわざ犯人の名前は香月さんのアナグラム(のアレンジ)という親切設計だったにもかかわらず…)


ということで、自分はまんまと騙されたのですが、普通の人には早いタイミングで「香月が犯人だろう」と思わせるようなつくりになっていました。
したがって、香月が犯人であることが分かった直後に、「あ、これは当初に想定していた麻耶雄高作品、クイーン作品と似たタイプの作品だったじゃないか。」と思うと同時に「ただ、それだけでは1~3話目までのマイナスは払拭されないのでは?」と思ったのでした。


ところが、「香月が犯人」という、いわば「見せパン」のあとに、真のどんでん返しが決まる、という二段構えが『medium』の真骨頂です。
ただし、この二段構え部分も厳密には二つの要素に分けられます。
一つ目は、3件の事件の「解き直し」です。1~3話のトリックが緩かった理由がこれですが、連作短編で小説での「解き直し」展開は、少し前に読んだことがありました。*3

その時も感じましたが、「解き直し」展開は、2通りの解法を用意している分、全体的に制約条件が緩く、2つ目は最初よりも納得感がありますが、3つ目、4つ目の解法が出てもおかしくない状態で事件が解決してしまう点で不満が残ります。


ということで、「解き直し」という反転が、どんでん返しの1つ目の要素になりますが、決め手に欠けます。
この小説の一番の魅力は、どんでん返しのもう1つの要素、「展開の反転」と並行して起きる「登場人物の反転」、つまり翡翠さんの「キャラ変」に違いありません。

「全部、芝居だったのか……」
「そうですよう。あんな、友達いないアピールをするうざいメンヘラ女子なんて、この世に存在するわけないじゃないですか。いや、いるかもしれないですけれど、わたしみたいに可愛くて綺麗な子がぼっちのはずないでしょう?」
ちろり、と舌を出して彼女は笑った。p419

「ああ、わたしが、先生におっぱいを見せてあげたときですね」両手を上げて、ひらひらと五指を動かしながら、翡翠が笑う。「慎ましい方かもしれませんけど、魅力的でしたでしょう?」
「あれすら、計算か…」
「当たり前ですよ。奇術師というものは、無駄な動きなんてなに一つとりません。あんなあざとい女性がいたら、演技をしていると真っ先に疑うべきですよ。人間が書けてなさすぎます」p422


この展開は、3話目までで感じていた不満点を大きく解消し、窮鼠猫を噛むどころか窮鼠が獅子に変化するくらいの立場の逆転に爽快感があります。
そして何より、この展開をドラマで見られるのは楽しみすぎです。
この展開を考えたとき、この役は浜辺美波が良いのではないか、とも思いましたが、『賭ケグルイ』等、同じタイプでインパクトのある役を既にやっており、何よりかわい子ぶりっ子があざとすぎるので、清原果耶という人選がベストな気がします。

一方で、過去回の「解き直し」の映像化は、ドラマとしては冗長で、見せ方が非常に難しい気もします。過去エピソードの振り返りも含めて「解き直し」をどう見せるか。そもそも、この最終話を何回にまたがって放送するのか。このあたりが今回のドラマで一番気になる部分です。


そもそも、2話までは1話1回で話が進んでいるので、『medium』だけでは、1クールを終えることができません。ということは、続編の『invert』も入って来るのでしょうか。
ここまで考えると、『invert』以降で、小芝風花の活躍する話が出てくるのかもしれない、と思って、これまた急いで『invert』を読むしかない、と書店に走るのでした。

*1:映画『貞子DX』が10/28に公開となりました。観に行こうかどうか迷い中。

*2:いわゆる「流れ弾」によるネタバレを防ぐため、作品名は伏せます。

*3:おそらく近年のメフィスト賞受賞作で、ブログに感想も載せた作品です。目星はついているのですが、このブログ記事では、ミステリの感想でネタばらしを避けるようにしていることが多く、あとで読み返しても結局思い出せないパターンが多いのです…。

脱「思いやり」で社会を変える~神谷悠一『差別は思いやりでは解決しない』

ジェンダー平等」がSDGsの目標に掲げられる現在、大学では関連の授業に人気が集中し企業では研修が盛んに行われているテーマであるにもかかわらず、いまだ差別については「思いやりが大事」という心の問題として捉えられることが多い。なぜ差別は「思いやり」の問題に回収され、その先の議論に進めないのか?女性差別性的少数者差別をめぐる現状に目を向け、その構造を理解し、制度について考察。「思いやり」から脱して社会を変えていくために、いま必要な一冊。


この本のタイトルにはドキッとした。
差別に関する本は、これまでに何冊も読んで感想を書いたりもしてきたが、「思いやりが大切」という安易な感想に陥って来なかったか。
いわば「思いやりの罠」に嵌まって来なかったか。
そんな風に「自戒」モードで読み始めたが、それだけに、非常に勉強になる一冊だった。
目次は以下の通り。

  • 第1章 ジェンダー課題における「思いやり」の限界
  • 第2章 LGBTQ課題における「思いやり」の落とし穴
  • 第3章 「女性」vs.「トランスジェンダー」という虚構
  • 第4章 ジェンダー課題における制度と実践
  • 第5章 LGBTQ課題における制度と実践

正直に言えば、4~5章は、読むのにしんどい部分もあった。
自分は、いわゆる「LGBTQ」の問題に興味関心が高い方だと思うが、それでも法制度について書かれた文章を読むのは慣れない。
しかし、この本は、1~3章で、(「思いやり」ではなく)施策、法制度こそが重要ということを何度も説かれ、そこに強い納得感があるので、それを駆動力にして興味を持続させて読み通すことができた。

「思いやり」は何がダメか(1章抜粋)

この本は、ジェンダーセクシュアリティの授業のテストやレポートで、「ジェンダーについてもっと気をつけたいと思います」「配慮したいと思います」「思いやりを持つ人が増えれば」といった「心の問題」を結論に置く学生が多いことへの嘆きから始まる。
対象を学生だけでなく、企業へも広げて「周知を徹底する」というフレーズについて書かれた部分が辛辣で的を射ている。

このように考えていくと「周知を徹底」というのは、口では「思いやり」と言うけれど何も行動を起こさないことの集団・組織版、と言えるのかもしれません。だから「周知を徹底します」と言われると、「思いやりをもって気をつけようと思います」と同じ匂いを感じてしまいます。p39

なお、「思いやりの弊害」については以下の2点があげられている。

  1. 「アンコンシャスバイアス」は、無意識にしてしまう差別・偏見であって、自分では気づくことができないので、そもそも「思いやり」が機能しない
  2. 正規雇用で働いているパートタイマーを正社員にするのに「思いやり」だけで行うと、恣意的になってしまう。本来は、そのための制度が必要だが、なければつくる必要がある。(法整備を避けて「思いやり」に走るのは本末転倒)

「思いやり」や「優しさ」は、「かわいそう」ではない人、ましてや「気に食わない」人を相手には発揮されにくい。
結局、「思いやり」は上から目線の言葉で、助ける相手としてふさわしい人のみを恣意的に選ぶという意味がどうしても入ってしまう、ということだろう。

少ない法制度、禁止と罰則(1章抜粋)

人権というと「権利、権利と主張しすぎ」といったことが言われることもあるが、そもそも日本では個別の人権に関する法律も、人権一般に関する法律もかなり少ない。

  • 人権一般については「人権教育・啓発推進法」(略称)があるが、心がけとか思いやりなどのレベルにとどまっているという指摘もあり、実効性に乏しい。
  • ジェンダーに関しては、「男女雇用機会均等法」があるが、雇用の場にとどまる。「男女共同参画社会基本法」は、行政の取り組みの方向性や体制を示す法律で、人権保障に関する内容を含んでいない。また、いずれも従来の「男」「女」がベースとなっている。
  • つまり、雇用以外の場面での性差別に対処する法律はなく、当然、従来の男女以外の性的指向性自認に対処する法律もない。(先進国では多い。例えばEUの事例)

さらに踏み込んで、ハラスメント「防止」法制はあるが、「禁止」法制はない、という話がとても頭の整理になった。

  • 日本のさまざまなハラスメント「防止」法制は、ハラスメント行為に対して直接的な法的効果がない。*1これに対して国連の女性差別撤廃委員会が日本に対して「セクハラの禁止規定を法的に位置づけるべし」という勧告を繰り返しているが、日本では、未だにハラスメントを禁止する法令はない。
  • 法律で「禁止」が定められるだけでは「罰せられる」ことはない。規定に違反した場合の「罰則」が定められて初めて「罰せられる」ことになる。例えば子ども同士のいじめについては、日本でも「禁止」されているが「罰則」はない。したがって、罰則をどうするかは別として、まずは禁止すべき。
  • セクハラを禁止し、かつ罰則を加えようとすると、「罰則」の対象となる「行為」をかなり限定的に定める必要がある。そうすると「罰則の対象になるセクハラ」「罰則の対象にならないセクハラ」が分かれることになるが、それが良いことなのか悪いことなのかは検討が必要。(フランスなど罰則を定めている国もある)

「カミングアウトしなきゃいいんじゃない?」という思いやり(2章抜粋)

1章でも「私は、(あなたがゲイでもトランスジェンダーでも)何も気にしないよ」というのは、思いやりでもなんでもなく、「なにも気にしないで済む」という特権にあぐらをかいた差別的発言であるという指摘があるが、2章でも同様に「カミングアウトしなきゃいいんじゃない?」という発言がいかに無神経か説明されている。
こうした発言は、カミングアウトしたときのリスク(異動や退職勧奨といった差別的取り扱いやハラスメント)を念頭に置いたものだが、「カミングアウトしないことによる大変さ」こそがもっと知られるべきとしている。

しかし、カミングアウトしないことによる大変さについては、意外と知られていません。日常会話の些細なところにまで気を遣わなくてはならないストレスなど、カミングアウトしない場合も大変な状況に置かれるのです。(略)
ここまで繰り返し述べていますが、差別や偏見がなければ、このようなカミングアウトするかしないかという葛藤自体に苛まれる必要がありません。しかし、差別や偏見があるからこそ、このような葛藤に苛まれ、カミングアウトするかしないかという「選択」を迫られてしまいます。p77-78

こういった状況に対しては、相手の置かれている状況を的確に把握することが必要となるが、すべての人にそれができるわけではなく、誰もが(個々の「思いやり」に頼らず)一定程度対応できる「施策」が必要となる。

「女性」vs「トランスジェンダー」という虚構(3章抜粋)

Twitterで見かけるフェミvsアンチフェミ論争は、ゴチャゴチャしている以上に、お互いの悪意がむき出しで、読むのが辛く、スルーしてしまうことが多い。
それに対して、女性vsトランスジェンダーという図式には「男性」が入る部分がなく、自分が「非当事者」」の立場で、どちらにも肩入れできないような気持になって、やはりスルーしてしまう部分があった。
このテーマについて、よく引き合いに出されるトイレ、銭湯、性犯罪については、トランスジェンダー当事者や支援者によって運営されている「trans101.jp-はじめてのトランスジェンダー」(https://trans101.jp/)のページのQ&Aが分かりやすく、まず議論の土台を確認できた。

Q19 トランスジェンダーは、だれでもトイレをつかえばよいのではないでしょうか
性別移行の初期であったり、男女別でわかれたトイレを使うことに抵抗感があったりする場合に、だれでもトイレを使う当事者はいます。しかし、移行先の性別です馴染んでおり男女別トイレを問題なく使える当事者もいます。トランスジェンダーであることを特に明かさず暮らしている当事者も多く、このような場合にわざわざ離れたトイレを使う様に指定することは、望まないカミングアウトの強要やアウティングにつながりかねません。トランスジェンダーはこのトイレをつかうべきというひとつの答えがあるわけではなく、職場や学校においては状況によって合理的に判断していくことが重要です。


Q 21  トイレや更衣室などは、戸籍の性別に準じて使用を認めるべきでは

性同一性障害の診断をもつトランスジェンダーの半数以上が戸籍の性別変更に至ってない現状があります(Q4参照)。戸籍とは異なる性別で日常生活を送っている当事者は多く、また移行先の性別で馴染んでおり特にトランスジェンダーであることを公表していない場合も多くあります。戸籍に準じた扱いを求めることは望まないカミングアウトの強要やアウティングにつながりかねません。


Q22   公衆浴場はトランスジェンダーをどう扱っていますか

浴場組合によっては身体の形状(陰茎を有するかどうか等)で判断しているようです。管理者の意思が最優先される場であり、また施設の性質上、合理性のある基準ではないかと思われます。個別のケースに応じて、個室スペースを案内するなどの工夫をしている浴場もあります。トランスジェンダーと公衆浴場の話題は日本のSNSでこの数年話題となっていますが、トランス女性の団体が「自分たちを性別適合手術なしで女湯にいれてくれ」と訴えているのではなく、むしろ当事者への嫌がらせ(トランスジェンダーは無理難題を押し付けるクレーマーだという印象操作)としてこの話題が持ち出されていることに注意が必要です。


Q23  トランスジェンダーの権利が認められると性犯罪が増えるのではないですか

カリフォルニア大学ロサンゼルス校が2018年に発表した米国初の大規模調査では、性自認による差別禁止をした地域、していない地域を比較したところトランスジェンダー性自認によりトイレを使うことが認められても性犯罪増加にはつながっていないことが指摘されました。


Q25  トランスジェンダーの権利擁護をする人は性暴力に無関心ではないでしょうか

宝塚大学看護学部の日高庸晴教授がLGBTQ+当事者を対象に2019年に行った調査(有効回答数10,769人)では、トランス女性の57%、トランス男性の51.9%が性暴力被害経験を有しました。被害を受けても安心して相談できる環境が少なく、弱みにつけこまれやすいなど、トランスジェンダーにとっても性暴力被害は重要な課題です。安全性を理由としてトランスジェンダーを排除しようとする動きが国内外で増加していますが、イギリスにおけるLGBT団体によるDV/性暴力被害施設への調査では、支援者たちは安全性対策は日常的にとりくんでおり、トランスのサバイバーを受け入れた経験を肯定的にふりかえっていました。日本でも、DV/性暴力被害者支援に関わる支援者たちから「女性の安全」をトランスジェンダー排除のための大義名分としないよう声があがっています
FAQ|性別で区分されたスペース編 – はじめてのトランスジェンダー trans101.jp

ここでは、繰り返し、トランスジェンダー排除のために持ち出されている議論に釣られないように気をつける必要があると警告されている。(2000年代のジェンダーフリーバッシングと同じ構造)
また、本の中で引用されている広島大学准教授の北仲千里氏の発言が一番重要な部分であると感じた。

性暴力などの犯罪の加害者は、その加害者個人が批判されて、その人が責任を取らされるべきです。しかし、「カテゴリー」や「全体」を攻撃することになると、それはヘイトスピーチとか、ヘイトクライムと呼ばれることになります。p105

このような、ある種の「弱者」と「弱者」の主張が衝突しているように見える状況に対して、片方の困難を説明するメッセージだけでは「私は苦しいけれど、あなたは楽だよね」と受け止められ「不安」は解消しない。
そこで必要なのは「あなたと私を苦しめる、この不平等について話し合おう」というメッセージが必要なのだという。


この本では、その不平等の原因を「ジェンダー規範」に求める。

ジェンダー規範からの逸脱は、排除を引き起こし、差別やハラスメント、仲間外れや無視といった事象が、逸脱したマイノリティ(女性、性的マイノリティはもちろん、これらの人たちに限らない)自ら、自分を制約する方向に力を加える。それが差別に対する異議申し立てを封印し、「男らしさ」を優遇する。だから、性的マイノリティに対する個別の差別や暴力根絶とともに、大元の性差別撤廃(女性差別を含むが、より広い意味で)にも力を入れるべきだ、ということです。p112

それでは、既存のジェンダー規範からの解放を求めるにあたって、どのような法制度が必要になってくるのか。
ここでは、まず性暴力から被害者を守る法制度の整備が挙げられている。
しかし、日本の現状ではこれらの法制度が脆弱で、いくつもの課題が指摘されている。

  • 性犯罪については、罪を問える「行為」の範囲がかなり狭い。
  • たたちに「犯罪」とされない性暴力については、セクハラ関係や、「DV防止法」と呼ばれるものを除き法律が制定されていない。
  • DV防止法も、DV自体を「禁止」しているものではなく、狭義のDV以外の暴力(デートDV、同姓パートナーからの暴力)については、適用外となっている状況。

これを踏まえると、以下のような法制度の整備が重要である。

おそらく、「トランスジェンダー」に対して漠たる「不安」を抱える「女性」たちが想定しているのは、配偶者などや保護者が加害者*2ではない分野の性暴力ではないでしょうか。
その意味で、「不安」に応えるためには、性犯罪の範囲自体を見直すことに加え、現行の法制度からこぼれ落ちる人たちを、性暴力被害から守る法制度が求められます。p119

さらに、この議論の発端にある男女別施設の使用については、このようなまとめがされている。

また、既存の男女別施設でのプライバシー保護や性暴力を受けないあり方も問われるでしょう。これらは、「女性」やトランスジェンダーに限った議論ではなく、障がいを抱える人なども含めた、トイレや更衣室などの設計業者も巻き込んだ議論が必要となります。p119

これらの議論の整理の仕方はとても上手く、かなりすっきりした。
特に、トイレや更衣室の問題については、プライバシー保護の観点で考えることで、広く男性も巻き込んで議論することができるようになると感じた。
翻って考えると、自分がこの話題に入りづらいと思ってしまったのは、性暴力の被害者になるという想定がしづらいことが大きな原因だった。
ということは、こういった問題を考える際には、他の人の立場になって考えるという方法以外に、あくまで自身の立場で考える場合にとっつき易い問題設定を行うという方法があるとわかった。

担当者が誰であっても継続できる仕組みづくり(4章)

4章は個別の法制度の話なのでざっくり。
ここでは、ハラスメント防止法のように「禁止」や「罰則」を伴わない法制度であっても、組織内の空気を醸成し、個人個人の「思いやり」に頼るより実効力があることが分かった。

このように「啓発」が制度化することで、どんなに「ハラスメント」課題に興味のない人が担当者になったとしても、一連の職場の取り組みが担保されることになります。すると、そこで働く人たちも、多少は周知のための資料を目にするでしょうし、何がしかの研修なりに少しは触れることになるでしょう。
そうなれば、ハラスメントについて一定程度認識し、ハラスメント被害に遭っても周りに言い出しやすくなるのではないでしょうか(そして加害者にならないためにどうすればいいか知ることができます)。p141-142

ただし、このような各組織の「取り組み」任せの法制度では、やはり「努力してます」程度の「言い逃れ」や「やったふり」に逃げられてしまう実態があり、まだまだ課題が多いというのも理解できた。

LGBTQをめぐる法制度

4章では、いわゆる「LGBTQ」をめぐる法制度についての動きについてまとめられており、これも頭の整理になった。
まず、関連する3つの法案の説明。

  • LGBT差別禁止法(略称):LGBT法連合会が発表している法案。キャンペーンEquality Act Japanが目指すLGBT平等法と同じ内容。
  • LGBT差別解消法(略称):2016年と2018年に野党各党が国会に提出した法案。差別禁止法よりはやや限定的。
  • LGBT理解増進法(略称):自民党の特命委員会が取りまとめて2021年に提起し、野党とのすり合わせが行われたあと、自民党内の法案審査が通らず、2021年6月に法案提出が見送りになったもの。

最後に挙げた理解増進法案について自民党内での議論が紛糾した論点は2点で「差別は許されない」という文言についてと「性自認」という定義規定。
前者については、例えば以下のNHKの記事にもまとめられている。
www.nhk.or.jp


これに対して、後者(「性自認」という定義規定)は少しわかりにくい。

Gender Identityの訳語を元の自民党案が「性同一性」としていたのに対し、野党との意見すりあわせで「性自認」と変更した。これに対して、自民党内の守旧派自民党案の「性同一性」に戻せという意見が強かったという。
この二つの言葉の違いについて、これまであまり意識をしたことが無かったが、今では誤解を生みやすい「性同一性」ではなく「性自認」が広く使われるようになったのだという。(以下に本文を引用する)

「性はスペクトラム(連続体)である」という概念とその実態が十分に理解されないまま「性同一性障害」という言葉が広まったことで、「心と身体の性別が一致していないというなら、身体のほうを心に合わせればいい」との誤解が生じた。そして、事故の性別表現が男女二分化された性別規範に会わない人や、性別表現に揺らぎがある人に対して、周囲がシスジェンダー規範を振りかざし、「男か女か、どっちかにしろよ」などと一致を迫るようになった。その結果、「いや、私は○○だと自認しています」などと、ジェンダーに関する自己認識を他者に伝える必要が生じ、「性自認」という訳語が多用されるようになって、現在に至る。p198

また、これに関して調べてみると、かつて「性同一性障害」と呼ばれていたものは、今では「性別違和」もしくは「性別不合」と呼ばれるようになっており、名称の変化には「脱病理化」の流れがあるという。*3
自民党の一部議員が「性自認」ではなく「性同一性」にこだわった理由として、「性同一性障害ではないトランスジェンダーを排除したい」という思惑があったことについても本の中で触れられているが、「性同一性」にこだわる主張が、脱病理化の流れや、性自認についての世界的な認識の変化とは大きく違っていることがわかる。
このあたりも基礎の基礎だが、勉強になった部分だ。なお、理解増進法案の提出見送りを受けてのEquality Act Japanの記事を以下に付す。本の著者である神谷悠一さんをはじめ、多くの関係者が嘆きの声を上げており、自民党への批判を読むと、提出見送りをした議員らの考え方がどのようなものかがよくわかる。現在、国会では、いわゆる「旧統一教会」の問題が取りざたされているが、性的マイノリティに対する自民党の姿勢についても少なからず影響があったであろうことを考えると、徹底的に検証し、改めて法制度の整備を進めてほしい。
equalityactjapan.org

まとめ

この本のテーマである「思いやり」については、ダイアン・J・グッドマン氏による、社会的公正への「抵抗」についての説明(3章)が分かりやすく、また、ハッとさせられる。

グッドマン氏は「抵抗」について、「偏見とは異なる。偏見とは、ある特定の社会集団についてあらかじめ持っている先入観、思考や信念である。抵抗とはその人の考え方ではなく、多様な考えをどれだけ受け入れられるのかの問題である。偏見をなくすには自分なりの解釈や思い込みを自覚し、検証する必要があるが、そのように自己を深く突きつめて考えようとしない気持ちこそが抵抗なのだ」と説きます。まさに本書が「思いやり」として取り上げてきたことはグッドマン氏の述べる「抵抗」であると言えるでしょう。p98

その後に書かれている通り、大切なのは「差別をしたら、その誤りをその都度反省し、自分なりに検証していくこと」であり、「思いやり」という言葉で、自己検証をさぼってはいけない、ということだろう。
そして、法制度を整備し、少しでも実効性のあるかたちに変更していくことが、結果的に、誰にとっても生活しやすい社会をつくっていく近道である。ということは、政治や選挙の持つ意味は非常に大きい。(もちろん組織内での制度構築も同様に重要である)


今回、概念的な部分と具体的な法制度の部分をバランスよく勉強できたおかげで、(特にSOGI関連については)少しだけ基礎知識レベルがあがった気がする。
今後も定期的に本を読むことで勉強を続けていきたいと思う。

参考(過去日記)

この本のテーマとなっている差別と法制度の話については、以前、『女性のいない民主主義』で勉強した内容とも近い部分がありました。

pocari.hatenablog.com
pocari.hatenablog.com
pocari.hatenablog.com


また、小説でも「思いやりでは困難を解決できない」というテーマで書かれた本がありました。今回、この本のタイトルにビビビと来たのも、過去の読書の積み重ねゆえかもしれない!

pocari.hatenablog.com

*1:2018年の麻生財務大臣発言「セクハラ罪っていう罪はない」に符号

*2:配偶者や保護者が加害者の性暴力は、現行の法制度が想定する性犯罪の範疇にある

*3:例えば⇒性別不合とは・意味 | 世界のソーシャルグッドなアイデアマガジン | IDEAS FOR GOOD

このtwitterアイコンは著作権的にあり?なし?~井上拓『SNS別最新著作権入門』

著作権の話は定期的に最新情報を確認しておきたいと思っている。「違反しているけど黙認されている場合」というグレーゾーンが非常に多く、全く他人事ではない内容だからだ。(SNSではワンクリックでいくらでも違反できる「便利」な世の中になってしまった…)
そんな中、この本は、”「これって違法!?」の心配が消える ITリテラシーを高める基礎知識”という副題通り、著作権に関する基礎応用がともに学べるとても良い本だった。

目次は以下の3章構成。

  • 巻頭 著作権を学ぶための基礎知識
  • 1章 著作権って何?
  • 2章 SNS投稿の気になる事例を解説!これってアウト?セーフ?
  • 3章 SNSで正しく著作物を扱うために知っておきたいこと

第1章で著作権に関する基本的知識の解説がある。これを踏まえて、メインの第2章のQ&Aでは、個々のSNS著作権的に問題になる/ならない場合の解説がなされ、第3章で、自社の著作物の取り扱いや炎上についての補足的な説明がある。


メインは第2章ということになり、SNSの使い方に関する以下のような内容のQ&Aが並ぶ。

  • Q1 「#読書記録」で本の表紙を撮影してアップしてもいい?
  • Q2 「元気が出る歌詞」「心に刺さる名言・セリフ」の投稿ってしてもいいの?
  • Q3  絵本の読み聞かせはしてもいいの?動画を投稿しても問題ない?
  • Q4 「ゲーム実況」を投稿・配信するのは違法なの?
  • Q5 「歌ってみた動画」「演奏してみた動画」をSNSに投稿するのは問題ない?
  • Q6 「踊ってみた動画」の投稿は違法になる? ダンスの振付にも著作権はある?
  • Q7  テレビやラジオ、街で流れている音楽。動画投稿やライブ配信に入ると違法になる?
  • Q8  既存の音楽の一部を用いて新たな音楽を作ってもいいの? 動画の場合はどう?
  • Q9  テレビ番組やCMのパロディ動画を作成してアップするのは著作権侵害になるの?
  • Q10 建築物やキャラクターの模写をアップしたら著作権侵害になるの?
  • Q11 神社や仏閣、城などの歴史的建造物。「#旅記録」として写真や動画をアップしてもいいの?
  • Q12 キャラクターやタレントがプリントされた電車や飛行機の写真をアップしてもいいの?
  • Q13 トレパクって違法なの?
  • Q14 路上ライブは著作権侵害にならないの? その様子を動画投稿・ライブ配信するのはOK?
  • Q15 音楽を使用した結婚式の余興動画はSNSにアップしてもいいの?
  • Q16 料理のレシピや手芸作品の作り方には著作権がないって本当?
  • Q17 小説や漫画、ドラマや映画のレビューは、あらすじを書いてもOK? ネタバレは著作権侵害
  • Q18 「ファスト映画」って違法なの?
  • Q19 人からもらった手紙やメッセージカード。SNSで公開すると著作権侵害になるの?
  • Q20 有名人のサインや一緒に撮ってもらった写真はネットにアップしてもいいの?
  • Q21 アカウントのアイコンにタレントやキャラクターなどの画像を使ってもいいの?
  • Q22 気になった投稿をリツイートやシェアで拡散!著作権侵害になることはある?


例えば、Q1は、よく話題になる「書影」の件。
「アップしてもいい?」との質問に対する回答としては「引用と認められる使い方ならOK」。

「引用」と認められるかどうかの判断は大きく3点でなされる。

  • 明瞭区別性
  • 主従関係
  • 正当な範囲

明瞭区別性は写真と文章なので問題なし。
主従関係は、ある程度の長さの感想や分析があればOK。
正当な範囲かどうかは「表紙を真正面から撮影した高解像度の画像は危険」という判断になるようで、読書風景の一部(例えばテーブルに置いた本)の写真という程度が望ましい。
ただし、ファッション雑誌の表紙など芸能人の顔写真がある場合は、肖像権侵害の可能性があり、引用(著作権法の話)ではクリアできないので注意が必要になる。


このような形で、具体的な考え方を踏まえながら解説が入り、個別の権利の内容を詳しく確認したければ1章に戻って確認するというような読み方ができる。
その他、気になるところをいくつか抜粋。

  • 音楽は細かく切れば著作物ではなくなるが、映像作品はいくら短くしても(当然静止画でも)著作物でなくなるということがない。したがって、ファスト映画は当然アウト(Q8、Q18)
  • 上にも近いが、歌の歌詞をSNSに投稿する際、歌詞の掲載はワンフレーズ程度に切り取るのであればOKだが、例えば1番の歌詞をすべて投稿したらアウト。ワンフレーズ程度のものをつなげると歌詞全体になるような場合も当然アウト。(Q2)
  • (特に記載がないが、「引用」の場合は、長い歌詞でもOK)
  • キャラクターの模写をアップするのは複製権や公衆送信権の侵害、無断でアレンジを加えれば翻案権侵害・同一保持権侵害となる。ただし黙認されることが多い。(Q10、21)
  • (Q21の解説には、アカウントのアイコン画像にタレント写真を使うのは当然アウトだが、その注意書きに「どうしても使いたいなら(似過ぎない似顔絵を)描きましょう」とある。上と合わせて読むと、タレントの似顔絵はOKだが、キャラクターの模写はアウトということになる。今の自分のtwitterアイコンはキャラクターのアレンジになるのでアウトに!)
  • 「歌ってみた動画」「演奏してみた動画」は、Youtube等がJASRACと包括的な契約を締結しているのでOK。歌詞を字幕で流すのもOK。ただし、CDや他人の演奏音源を無断で利用するのはアウト(JASRAC管理の範囲外)。なお、替え歌は、歌詞についての翻案権、同一性保持権侵害になるのでアウト。(Q5、Q9)
  • 路上ライブは①非営利②無料③無報酬であればOK。それを撮影した動画のアップもJASRAC管理楽曲ならOK。


ということで、我が身を振り返ると、日々のブログやTwitterの利用で問題となりそうな部分は、ある程度は「引用」の範疇になると考えるが、絵の関係は注意していないとすぐに違反になってしまうようだ。
このあたりは、AIによるイラスト作成が身近になる状況が近づいており、著作権的な解釈が難しくなる局面にあるのかもしれない。1年後くらいには改めて勉強したい。
なおtwitterのアイコンは著作権的にグレーではないものに変更したいと思う。

19世紀のスイス、ドイツに思いを馳せる~『図説 アルプスの少女ハイジ 増補改訂版』

読みたくなる本(小説以外)の条件として、自分は以前から「読みやすい・読み通せそう」という点を重視していた。
さらに最近は、歴史(日本史・世界史問わず)に興味関心が高いことから、「歴史・地理について触れている」本は優先度が上がる。
そして何より、タイトルやテーマに魅力を感じる本が良い。
この本は、そのすべてを満たした本。
例えば、メインの1章(『ハイジ』という物語)では、ハイジの話を、当時の本の挿絵を複数種並べながら振り返る。表紙もその一部ということになるが、挿絵に加えて地図や写真も多く、それだけで圧倒的に読みやすく、また、副題にある通り、スイスの歴史を軽く学べる。


あらすじを改めて辿ると、アニメで見たハイジは、1880年発表の原作『ハイジ』にかなり忠実で、クララが立った!まで含めて原作通りのようだ。
ただし、メインキャラクターで言うと、セントバーナード犬のヨーゼフは原作には登場しない点が異なる。
また、ペーターは、原作では無知で鈍重で、「かわいそうな人物」として描かれているという。原作では、ハイジに「神からの使者」的な役割が与えられ、ペーターは「教育され、救済されるべき存在」とするなど、作者シュピーリが都会から田舎を見る視線と宗教的寓話の意図が入って、このようになっているようだ。
なお、別作者(フランス)による続編では、ハイジとペーターは結婚して多くの子に恵まれているというので、時代や国によって捉え方が異なるのかもしれない。

地理と歴史

驚いたのは、クララのいる街はスイスではなく、ドイツのフランクフルトであるということ。
ハイジのいた「アルムの山」はスイス東部のマイエンフェルト。オーストリアリヒテンシュタインとの国境近くにあってドイツには接しておらず、結構離れている。(ともにライン川の近くにはあるが)
この遠距離をハイジが移動できたのは、スイスを代表する交通機関である鉄道があったから。スイスの鉄道は1847年に開通、マイエンフェルトに鉄道が通ったのは1858年。日本の鉄道が今年150周年で、1872年に新橋~横浜間が開通。その差は14年とはいえ、明治維新による変化が急激だったということがうかがえる。(『ハイジ』は1880年に発表。)


また、おんじは若い頃にナポリに兵隊として行って戦争を経験している。産業革命で精密機械工業がさかんになり、また、観光が有名になるまでのスイスは、大した産業もない貧しい山国。男女ともに外国に出稼ぎで行く中で、スイスは各国に傭兵を送り出す国として有名だったという。
フランス革命のときには、1792年、ルイ16世を警護していた950人のスイス傭兵たちが、民主主義を求めるフランス人たちに殺される構図があった。
そもそも、おじいさんにハイジを預けたデーテ*1も、フランクフルトに出稼ぎに出て、そこで、大金持ちのお嬢さんの遊び相手を探してほしいと頼まれたことが、ハイジが山を下りるきっかけだ。

話はフランクフルトに戻るが、ハイジ発表の1880年当時はドイツも激動。鉄血宰相ビスマルクの全盛期。1870年から始まった普仏戦争に勝利し1871年ドイツ帝国が誕生した直後となる。その後、急成長したドイツ帝国が、第一次世界大戦に大きく関わることになるのだから激動の時代だ。

ハイジとアニメ、日本

ハイジと言えば1974年の『アルプスの少女ハイジ』だが、イタリア、フランス、スペイン、ドイツで特に人気を博し、日本のアニメ作品だと知らずに観ていた人が多いという。ただし、スイスでは作品の描かれ方に違和感があるということで、これまでテレビ放映がされたことはないとのこと。ただし、マイエンフェルトでは多くの外国人観光客向けのサービスがあるという。


一方、日本ではアニメ以前にも古くは1902年から翻訳本の出版があり、戦後は児童文学としてブームになり、色んな挿絵のバージョンで出版されたようだ。面白いのは戦前は少女雑誌の媒体で、「エス」(少女同志の恋愛または恋愛に近い情熱的な友情を意味する)の文化として作品が受け入れられたということ。つまり、ハイジとクララの二人の関係が中心にある物語という受け止め方だ。


なお、増補改訂版には、2019年7月からスイスの博物館で開かれた『スイスのハイジ展』に関する情報の記載があるが、このときの座談会の様子も収められているのが良い。高畑勲宮崎駿とともにアニメ制作時にスイスでのロケハンに同行した小田部洋一、中島順三の二人と高畑かよ子(高畑勲の妻)の3人による鼎談だが、約50年前の話だが最近のことのように話していて不思議な気持ちになる。


少し駆け足になったが、こういう風にして、知っている作品と同時期の世界の歴史がどうなっていたのかを探るのも面白いと思った。
特に、19世紀のスイスとドイツ(激動の時代)について、もっと知りたいと思わせる本だったと思ったら、同レーベルの「ふくろうの本」シリーズでは、オーストリア、スイス、ドイツ、フランスの歴史が「図説」で紹介されている。また、アメリカ児童文学など、この本と同主旨の本も!これは読みたい。

*1:母方のおばさん。ハイジは両親を亡くし、デーテの元で育った

オリジナル・ラブ20枚目のアルバム『MUSIC, DANCE & LOVE』と積み減らし

当初、9/21に発売を予定していたが、発売が11/16に延期となっていたオリジナル・ラブの20thアルバム『MUSIC, DANCE & LOVE』のジャケットと曲目が発表になった。

1 侵略
2 Music, Dance & Love
3 優しい手 - Gentle Hands
4 フェイバリット
5 ソングライン
6 接吻 (M.D.L. Version)
7 雨に出かけて
8 月と太陽
9 Dreams (M.D.L. Version)
10 忘れな草
11 ソウルがある

驚いたのは、これまでライブで何度も演奏していた「ホークアイ」が収録曲の中にないこと。
いや、よく見ると、1曲目に「侵略」という曲がある。


先月9/4の日比谷野音*1で歌詞を変えて演奏された「ホークアイ」は、当日限りの特別バージョンなのではないかと思っていたが、タイトルまで変更したようだ。
日比谷野音のライブで最初で演奏された「ホークアイ」は、河合さんのハモンドオルガンのイントロからゆっくりと始まり、不穏な空気を醸しながら演奏が進むと、聴こえてくる歌詞は明らかにロシアの侵略戦争のことだと分かって来る。*2

核をちらつかせ威嚇する
狂った夢を実現させるのに
小さな命まで奪って熱狂している
見過ごし黙って諦めていてはいけない こればかりは
何度でもはっきりと大声でアピールしよう
この侵略戦争をストップしろと

比喩やほのめかしではなく、あまりに直球の歌詞なので驚き、だからこそ、2022年9月現在のことを歌った、その場限りの歌詞なのだと思っていた。
実際、この歌が次にライブで演奏されても、踊ったり合唱したりすることはないだろう。体を揺らしこそすれ、直立不動で無言で聴き入るしかない。
今回のアルバムには「接吻」*3が入るにもかかわらず、世間一般の、どころか、ファン歴が長い人にとっても従来のオリジナル・ラブ観の枠から外れる曲でだと思う。、
しかし、一方で、これこそ、まさに岡本太郎が言うところの「人生積み減らし」を体現したような曲なのではないかと思う。

人生は積み重ねだと誰でも思っているようだ。
ぼくは逆に、積み減らすべきだと思う。

財産も知識も、蓄えれば蓄えるほどかえって人間は自在さを失ってしまう。
過去の蓄積にこだわると、いつの間にか堆積物に埋もれて身動きが出来なくなる。
人生に挑み、本当に生きるには、瞬間瞬間に新しく生まれ変わって運命をひらくのだ。
それは心身とも無一物、無条件でなければならない。
捨てれば捨てるほど、いのちは分厚く、純粋にふくらんでくる。 
今までの自分なんか、蹴とばしてやる、そのつもりでちょうどいい。

久しぶりに「侵略」を聴き直した時に、「あのときは本当に心配だったけど、最悪を免れて良かったね」と言える未来になってほしい。


なお、日比谷野音のライブでは、この「侵略」(ホークアイ)があったことにより、個人的な評価が上がった曲がある。
それは、最も最近のリリースとなる、TENDREとのコラボ曲『優しい手 ~ Gentle Hands』だ。

優しい手 ~ Gentle Hands

優しい手 ~ Gentle Hands

  • WONDERFUL WORLD RECORDS
Amazon

B面なしの1曲リリースの場合、何度も聴こうとすると、その曲ばかりを繰り返し聴くことになるが、そうすると、この曲の歌詞は「甘過ぎる」。
暗いニュースばかりとは言わないけれど、ウクライナのニュースを日々目にする状況では、「優しい手の先に未来はある かならず」というサビの歌詞が浮いて聴こえて、反発を覚えるほどだった。
だから、(個人的感覚では)アルバムのバランスを考えれば、「侵略」で描かれるような厳しい現実認識があることによって「優しい手」の歌詞が救いになり、明るく響いてくる。絶望の中で光に手を伸ばしたくなる。*4


また、披露された新曲でアルバムタイトル曲の「MUSIC, DANCE & LOVE」も「音楽を奪うことはできない」と歌う、力強い曲。祝30(+1)周年の雰囲気を持ちながら、全体としてメッセージ色の強いアルバムになるのではないかと思う。
メッセージ色の強いということで言うと、日比谷野音のライブは、最後にアンコールで「逆行」を演奏して、これも個人的にツボに刺さりまくる選曲だったので、今回のアルバムのラスト曲には注目してしまう。
発表になっているラスト曲「ソウルがある」というタイトルにはダジャレ感もあるが、ガツンと殴られるような楽曲を期待したい。*5

何はともあれ、3年半ぶりとなる新作。大変期待しています。

*1:日曜の夜のライブは行きたくないので自宅参加…

*2:聞き取り内容から2番の歌詞を引用。

*3:先日発売された「MUSIC MAGAZINE 10月号」で、90年代のJポップベストソングスの堂々ベスト1位に輝いた楽曲。おめでとうございます!!

*4:「スイカに塩」効果。この場合はスイカハバネロか。

*5:ダジャレではないよね。念押し