Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

『3月のライオン』や将棋関連本の感想

2013年の将棋電王戦から始まった自分の将棋ブーム。
その後、藤井聡太の登場、羽生九段が無冠になる一方で、『3月のライオン』の主人公・桐山零のモデルともいわれる豊島将之八段が2019年6月現在では名人を含む三冠を保持しているなど世代交代が進んでおり、目が離せません。
関連本はもっと読んでいきたいですね。

世界規模の課題に個人でも取り組む入り口に~『未来を変える目標 SDGsアイデアブック』

未来を変える目標 SDGsアイデアブック

未来を変える目標 SDGsアイデアブック


SDGs(エス・ディー・ジーズ) は言葉としては知っていたし、それが目指すゴールの何となくのイメージは持っていましたが、道筋については全く未知でした。
そんな自分にとってこの本は、中高生向けに書かれた本ということもあり、 とても読みやすく、 具体的な取り組みとして世界でどんなことが行われているかを知ることが出来る良い本でした。のみならず、地球温暖化ガスの排出目標などとは異なり、SDGsがとても身近な存在に思えてきました。

SDGsとは何か、について、外務省HPから引用すると以下の通りです。

持続可能な開発目標(SDGs)とは,2001年に策定されたミレニアム開発目標MDGs)の後継として,2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」にて記載された2016年から2030年までの国際目標です。持続可能な世界を実現するための17のゴール・169のターゲットから構成され,地球上の誰一人として取り残さない(leave no one behind)ことを誓っています。SDGs発展途上国のみならず,先進国自身が取り組むユニバーサル(普遍的)なものであり,日本としても積極的に取り組んでいます。

実際の17のゴールと本書で紹介された取り組みは、目次で一覧でき、それだけでとてもわかりやすいので、以下に画像として引用します。
f:id:rararapocari:20190616005356j:plain

読み進めると、どの取り組みも、寄付ではなく支援だったり、ボランティアではなくビジネスだったり、という「持続可能性」に重きが置かれていることが分かります。
また、ミレニアム開発目標の反省から「誰も置き去りにしない」世界をつくることを理念として掲げていることも含め、途上国だけでなく、先進国も積極的に目標達成に向けて努力すべきゴールがたくさん掲げられています。(持続可能な世界をつくるにはエネルギー消費の多い先進国こそが行動に移す必要があり、相対的貧困などの国内の問題も「誰も置き去りにしない」という意味で、先進国が取り組むべき課題です。)


紹介された中で印象に強く残ったのは「目標8:働きがいも経済成長も」で取り上げられたインドのハンドメイド絵本出版社「タラブックス」。
ここの絵本は世界中で大人気ですが、会社は大きくしない と決めているといいます。 (現在、社員15人+工房の職人25人ほど)

ふたり(会社を率いる二人の女性)は「あまりに多くの人を雇うと、社員は会社にとって自分が不可欠な存在だと感じられなくなる。それでは良い本がつくれない」と言う。工房の職人には長時間働きづめでたくさんの本をつくるより、少部数でも丁寧な本づくりをしてもらいたいと考えている。そう、会社を大きくしないのは働く人のためであり、同時に会社のためでもあるのだ。

規模拡大というビジネスの常識には、誰もがその限界に気がついていると思いますが、世界的人気がありながら、ここまで小規模な会社でも、こういった発想を持つとは驚きです。


また、いくつか挟まれるコラムでは、NPO法人ピープルデザインの須藤シンジさんの指摘が印象的でした。
コラムでは、健常者・障害者双方の心の心の底にある「心のバリア」(スティグマ)をなくすこと(心のバリアフリー)の大切さについて説かれています。
日本のように、小学校で特別支援級があり、健常者と障害者の接触頻度が極めて小さくなる国は、主要先進国では稀だとのこと。違いを持った人々との交流の術に慣れることなく、「無知」のまま成人に至ることが多い日本で、その「無知」こそが、心に「恐怖」に似た「避けたい感情」を醸成していきます。
これは、まさにその通りで、NPO法人ピープルデザインの具体的な取り組みについてももっと知りたいと思いました。


このようなSDGsですが、17個の目標を皆が考える必要があるのではなく、すべての目標はつながっていると言います。つまり、個人もしくは企業にとって大事な課題を目標の入り口にすることで、どんどん隣接分野の目標に取り組まざる得なくなり、最終的には、多くの目標がついてくるというのです。
このような社会的テーマで嫌なのは、結局、全部勉強しなければ始められないのでは…?素人は手出しできないのでは…?という結論に至ってしまうことですが、SDGsの場合は、どの入り口から入っても大丈夫と敷居が低いものとなっています。

SDGsと年金の持続可能性

SDGsのような考え方は、官僚や政治家など、国を担う人たちには、知識としても持ち合わせてほしいですが、何より、その理念を持ち合わせていてほしいと望みます。
特に、一国だけでは成り立たない日本では世界的視野は必須で、人口減少社会を迎えていることから、持続可能性について強い意識が必要だからです。
これに関連して、6/10の年金をめぐる国会での、安倍首相と共産党小池晃さんのやり取りには驚きました。(動画の3:32:00あたりから)

参議院 決算委員会 2019年6月10日

内容の良し悪しについては置いておいても、小池さんの主張が明解なのに対して、安倍首相の主張は、何を言っているかよく分かりません。
小池さんの発言は「国民の生活が第一」ということで主張が一貫しているのに対して、安倍さんの発言には、何も芯がないからです。
怖いのは、年金問題は、第一次安倍政権が終わるきっかけとなったテーマで、これまで安倍さんが勉強をしてきたはずのテーマであることです。
にもかかわらず、小池さん(のみならず多くの国民)に呆れられるような回答しか出来ない人が日本の総理大臣であることが怖いです。
特に、安倍さんが連呼する「マクロ経済スライド」は、繰り返し小池さんが指摘しているように、年金制度維持のために給付を減らしていく方法であり、国民の生活にとっては明らかにマイナスです。小池さんの質問に上手く答えられないことで、安倍さんは「国民の生活」には興味がないということが浮き彫りになっていると感じます。
そもそも安倍さんは、地球規模でも個人規模でも「持続可能性」が問題になっていることを理解していないようです。小池さんに、年金増の財源を示せ、と詰め寄り、法人税増などの案を聞けば「馬鹿げた政策」「誤った政策」と、具体的な話に触れないまま、議論を打ち切ろうとします。このやり取りを見ると、安倍さんは、多くの国民が年金を信頼できないと思っていることに全く無頓着で、それを理解しよう、解決しようと頭を使った形跡が見られません。
この国会答弁について、右派系まとめサイトでは「批判だけで無策の共産党」だとか「安倍さんの答弁キレッキレ!」というようなtweetも紹介されていましたが、普通の人が国会答弁をちゃんと見たら、安倍さんのわけのわからなさに恐怖を覚えるはずです。(ましてや、安倍さんはこのあと、もっとハイレベルに難解な問題を抱えたイランを訪問したのです…)


さて、小池さんや、演説がそのまま本として出版されてしまうような枝野さんは、(その主張に賛同するかどうかは別としても)言わんとしていることが分かりやすいです。
それは、SDGsとは異なる部分もあるかもしれませんが、国民視点を含む「政治的理想」が頭の中にあるからです。
対する安倍さんが、二言目には「悪夢のような民主党政権」と言い出すのは、国民視点を含む「政治的理想」がないのは勿論、国内外の難しい課題に対して頭を悩ませたことがないからではないかと思ってしまいます。
19日に党首討論があるようなので、安倍さんがどのようなことを語るのか注目しています。(「悪夢のような…」はもうやめてほしい)
そして、次の首相は、SDGsについても一通り理解し、自分なりの意見を持っているような人がなるといいな、と思っています。

ゴジラ×インターステラー~ナチョ・ビガロンド監督『シンクロナイズドモンスター』

シンクロナイズドモンスター [DVD]

シンクロナイズドモンスター [DVD]

ゴジラ』と『インターステラー』の反省


映画『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』予告2

ここ最近の個人的な映画ニュースは、満を持して立川シネマシティの極上爆音上映で臨んだ『ゴジラ キングオブモンスターズ』で爆睡してしまったことでした。
どこまで酷かったかを簡単に説明します。

  • 最初はちゃんと見てた
  • キングギドラゴジラの最初の対決もちゃんと見た。
  • ラドンのきりもみ飛行がカッコいい!
  • ここまでも眠気はあったが、そもそも怪獣バトルシーンは、席まで揺れるほどの極上爆音で自然と起きる…
  • しかし、その後しばらく続く人間同士の会話ベースのシーンで完全に爆睡。
  • あれ?いつの間にか芹沢教授が山に登っている!
  • この後はほぼ起きて観ていたはずなのだが…!
  • 世界中の怪獣たちがゴジラの周囲に集まってきて、これは危険だぞ!どうなるのか?あれ?ラドン何故?と思っていたら終了。(起きていたら絶対に抱かない感想)

鑑賞後、一緒に観に行ったよう太(中3)に、「ラストシーンは…」「芹沢教授は…」「モスラの鱗粉が…」と理解できなかった部分について逐一解説を受けることで、いかに自分が何にも観ていなかったのかを理解し、居たたまれない気持ちになったのでした。


さて、数日経ってみると、さらに記憶は朦朧となり、黒髪の女性研究者がチャン・ツィイーだったのか、アン・ハサウェイだったのかもよくわからない状態に。
思えば、5月末でAmazonプライム見放題から外れてしまう映画ということで、アン・ハサウェイが研究者役で出演するクリストファー・ノーラン監督の『インターステラー』を観た直後に『ゴジラ』を見た形になったのでした。なお、『インターステラ―』は、こちらも眠気を誘われることが多く、最終的に「よくわからなかった」という感想が一番に出てくる、残念な映画体験となってしまいました。

映画『インターステラー』最新予告編


度重なる失態に対して僕はこう決意したのでした。(バケモノにはバケモノ!の『貞子vs伽耶子』理論)


こんな決意をどちらも叶えてくれる素晴らしい映画がありました。
それこそが、アン・ハサウェイ製作総指揮・主演の怪獣映画『シンクロナイズド・モンスター』です。

シンクロナイズドモンスター』という、ものすごく変な映画


映画「シンクロナイズド モンスター」日本版予告

憧れのニューヨークで働いていたグロリア(アン・ハサウェイ)だったが、失業してからというもの酒浸りの日々を送っていた。ついには同棲中の彼氏ティム(ダン・スティーヴンス)に家を追い出され、生まれ故郷の田舎町へと逃げ帰る。グロリアは幼馴染のオスカー(ジェイソン・サダイキス)が営むバーで働くことになるが、その時驚愕のニュースが世界を駆け巡る。韓国ソウルで突如巨大な怪獣が現れたというのだ。テレビに映し出された衝撃映像に皆が騒然とする中、グロリアはある異変に気付く。「この怪獣、私と全く同じ動きをする…?!」舞い上がったグロリアは、怪獣を操り世界をさらなる混乱へと陥れるが、そこに「新たなる存在」が立ちはだかる-!


とにかく、これは、ものすごく変な映画でした。
宣伝通り、アン・ハサウェイは、お酒で失敗を続ける「ダメ女」を演じますが、彼女の周りにいる男性キャラクターに「いいやつ」がいない。

  1. ニューヨークで同棲していた元彼ティムは、上から目線で「稼ぐけど優しくない男」
  2. 田舎町に戻って世話を焼いてくれるオスカーは、「優しいけど魅力の少ない男」
  3. オスカーの友人で、グロリアと一夜を共にしたジョエルは「容姿は魅力的だけど、行動しない男(子分タイプ)」

主要な男性キャラクターは上の3名なのですが、特に「3人目」として登場するジョエルは、その登場順からも、通常なら、ダメ女に救いの手を差し伸べる王子様タイプなのかと思いきや、その後、窮地に立つグロリアを見てみぬふり。そのくせ、いつも彼女のことを気にかけ、ソウルに怪獣が現れると常に心配そうな素振りを見せる。(最後まで)
オスカーは、「モテない常識人」かと思いきや、一番の「モンスター」だったのですが、むしろ「ダメ」という点では、グロリアと似た部分のある、しかも幼馴染。最後には、オスカーが改心してグロリアとくっつくのかと思いきや、最終盤で、グロリアは、元彼ティムのもとに戻ることをオスカーに告げます。確かに、オスカーはダメダメだけど、ティム?えええええ?
結局、ラストは、ティムも放っておいて、オスカーを(怪獣になったグロリアが)彼方に投げ飛ばして終わり、という、意表を突く展開でした。
実際にソウルで建物被害 ・死傷者が多数出ているのに、最後に、グロリアの「トホホ」表情がクローズアップされて終わる名探偵コナン的ラストにも違和感大でした。


しかし、この映画が、アン・ハサウェイ製作総指揮であり、彼女の世間的な評価を知ると、色々と納得できる映画です。特に町山智浩さんの作品評が分かりやすい。


つまり、ネットでの「ヘイター(アンチ)」からの悪評で落ち込んだ主人公が、そこから立ち直る物語という見方です。
確かに、ロボット(オスカー自身)が登場するネット動画を何度も繰り返し見てしまうオスカーには、Twitterで馬鹿をやらかしてしまう若者の匂いを感じたし、愛想を尽かしたグロリアがオスカーに言う以下の台詞は、はるかぜちゃん(タレントの春名風花)が、それこそ「ヘイター」に向けて言っているような既視感がありました。

自分が嫌いなのね
別の理由だと思ってた
私を自分のものにしたいのかと
でももっと単純な話ね
自分が嫌いなのよ
自分のちっぽけな世界が大嫌いなのね
それだけのこと

しかし、全体をネット社会の比喩だと考えたときに、怖くなってくるのは、「2人目」のジョエルの立ち位置が、サイレントマジョリティを可視化し、自分のような人間を糾弾しているように思えてくることです。
ネット全体(特にTwitter)を見たとき、一番目立つのは、世間を煽るような言動を繰り返す(しかし、おそらくリアル社会では目立たない)オスカーのような人間。
また、グロリアのように「ダメな自分」に一度溺れて、そこから抜け出そうとあがいている人も見かけます。
ジョエルは、グロリアに恋心を抱いていることもあり、 常に彼女が心配で、様子を気にかけているという意味では優しい人間です。でも、実際には行動しない。結果として、少しもグロリアの救いになっていません。本来は、オスカーの暴走を止めるのは、ジョエルの役割であるはずなのに、完全に他人事です。
映画としては、アン・ハサウェイが「ダメ女」を脱出して、人間的に成長したという意味で上手く収まっているラストということになりますが、自分をジョエルに重ねて見ると、なかなかムズムズする終わり方で後味が悪いです。また、勿論、オスカーのような人間が改心するラストが本当は相応しい気がしますが、リアルではないということでしょう。
なお、Twitter界で怪獣が出現し、大騒ぎになっているときに、ティムは、Facebookで仲間との信頼関係を築いているのだろうと思います。

どんな向かい風も一歩なら歩き出せる~山内マリコ『選んだ孤独はよい孤独』

選んだ孤独はよい孤独

選んだ孤独はよい孤独

深夜のファミレスで飽きずに話してたことは
ぼくらが手に入れるはずだったちっぽけな未来

それは宝物 だってぼくらはもう手にできない
グズグズと悔やむばかり

どんな悲しみも ぼくらは光にできる
借りたままの君の好きな歌が いつもそう歌うよ
まるで君の口癖みたい
スガシカオ「黄昏ギター」

誰もがみな、自分の将来に対する希望と絶望、過去の思い出と後悔の中で生きていると思う。
むしろ、それらの「せめぎ合い」の中にこそ、人が生きる喜びが生まれるように思う。
スガシカオの「黄昏ギター」では、その「せめぎ合い」のバランスが絶妙だ。
ぼくらが手に入れるはずだった宝物は「もう手にできない」。そんな絶望に溢れている。
一方で、そこにある「どんな悲しみも ぼくらは光にできる」という僅かな希望を、「君」の言葉ではなく「君の好きな歌」の言葉として引用する。「まるで君の口癖みたい」に。
この時点では、この歌詞は希望と絶望で言えば、完全に絶望に偏っている。
実際、大袈裟ではなく、辛さばかり感じて生きる人生もあるだろう。
それでも最後にこの歌は、「借りたままのギターで 僕は歌を歌うよ」と、借り物の言葉でも、自分の思いとして、自分の希望として「どんな向かい風も 一歩なら歩き出せる」と宣言する。
一歩しか歩けないのではなく、「一歩なら歩き出せる」。
単なる言葉遊びに過ぎないが、それでもこの一歩は大きい。


こんな風にして、もう取り戻せないもののことを考えたり、人に嫉妬したりしながら、それでも生きて行かなくちゃいけない。
そんな小説を集めた作品集がこの本だと思う。
帯には“誰もが逃れられない「生きづらさ」に寄り添う、人生の切なさとおかしみと共感に満ちた19編”“「女のリアル」の最高の描き手・山内マリコが「男の生きづらさ」をすくいあげた新たなる傑作!”、また、“忽ち重版!男性から共感&震撼の声続々”とあり、著名人の感想が並ぶ。

  • 「人生の正解」を求めてもがく男たちの絶体絶命っぷりに痺れました。---穂村弘歌人
  • 微笑みながらジャブを打たれ、気づけばノックアウトに持ち込まれる、そういう作品集です。---武田砂鉄(ライター)
  • めちゃくちゃ身につまされる!男の描き方に違和感が一切ない。これってすごいことですよ!---海猫沢めろん(作家)


実際、「この感じ」は、今まで生きる中で経験してきたけれど、それほど多くは書かれていない部分かもしれない。
いや、書かれていたけれど、それは「トホホ」という(聞いたことのない)笑い混じりの嘆息とともに、斜めから通常描かれるものだったのだ。真正面から「生きづらさ」のみをピックアップしていくような作品集は無かっただろう。


自分が最も共感したのは、「あるカップルの別れの理由」の鈍感な主人公。自分を見ているようで怖くなる。

彼女は腕組みして言った。
「たまにはさぁ、自分で洗濯機回してくれない?」
ああっ!そっち!?
その瞬間、彼ははじめて気づく。
一緒に住みはじめてから、自分で一度も洗濯していないことを。洗濯機を回すのは、いつも彼女だった。
「そっかぁ、ごめん。悪気はないんだけど、気がつかなかった」
「あなたのその鈍感さに、なんか蝕まれていく感じがする」
彼女は吐き捨てるように言った。p69


他の作品でも男性キャラクターはこういうタイプの人が多く、悪気はないけれど、旧来のジェンダー観に囚われている。自分もそういうタイプだし、周りにも多いからよく分かる。
たとえば、超短編「子供についての話し合い」で一方的に責め立てられるだけの主人公もそうだ。(この小説は、これで全編)

「あなたが昭和の専業主婦みたいに、文句も言わず家事も育児も全部やってくれるんだったら、子供産んでもいいよ。でも、そうでないなら、産みたくない。これに関してはあたし、一切譲歩する気はないから」

その他、

  • 小学校の同級生との腐れ縁が今も続き、地元に住み続けて、職も結婚も自分で決断しない 一編目「男子は街から出ない」の主人公
  • 「さよなら国立競技場」の、サッカー部の上の学年が好成績を収め過ぎたせいで厭世的になってしまった谷間世代のキャプテン

など、本当にこれまで近くにいた人が悩みながら生きる様を見ているようで痛い。人間性というのは、結局「人の間」に生きて出てくるものだよな、ということを改めて感じさせてくれる。


『選んだ孤独はよい孤独』というタイトルは、19編の小説の題名の中にはないが、読み直してみると、最後の一編「眠るまえの、ひそかな習慣」とリンクしているようだ。

この小説の中で、自己啓発本が大好きな主人公は、手帳に書き写した言葉の中のひとつ―――「ナースが聞いた、死ぬ前に語られる後悔TOP5」 ―――を眠る前に唱える習慣がある。老いぼれて余命僅かな自分をイメージしながら…

「ああ、もっと自分自身に忠実に、自分らしく生きればよかった。
あんなに一生懸命働かなくてもよかった、
もっと家族と過ごせばよかった。
世間の目を気にせず、自分を出す勇気を持てばよかった。
自分の気持を押し込めすぎた。
そう、私は、あんなに人生に怯えなくてもよかったのだ。
自分の手で、幸福を選んでもよかったのだ。
いつだって、幸福は、選べたのだ」

山内マリコは、この主人公を、ダメなタイプの「意識高い系」として描いている。残念なタイプとして描いている。
主人公は眠る前に上の文句を唱えて「出会ったすべての人に、彼はもう一度会いたかった」と感じ、「どうせまた会えると思いながら、二度と会えなかった大勢の人たちを」思い出すシミュレーションをしている。が、だからと言って、彼は行動に移さないのだろう。
そして、彼は孤独のまま死んでいくのだろう。
それでも、彼が「選んだ幸福」は、「選んだ孤独」は、きっと「よい孤独」なので、あまり気にする必要はないのだ…


という皮肉なタイトルのついた作品集だが、それでも、最後の一編がこれで終わることに、少しのメッセージが含まれている気がする。
スガシカオ「黄昏ギター」で歌われるように、 「どんな向かい風も 一歩なら歩き出せる」のではないだろうか。
自己啓発本から持ってきた借り物の言葉で進める「一歩」もあるのではないだろうか。
古くからの友人と無理につるむ必要はないし、しがらみから自由になるのなら「よい孤独」もたくさんあるだろう。
しかし、自分を押し込めて、自分を出せないままで、獲得した「よい孤独」は、「幸福」から離れてしまっているのではないだろうか。
ダメ人間の「眠る前の、ひそかな習慣」を本の中で眺めることで、読者は、自分を客観視して、きっと少しだけ前に進むことが出来るようになる。
そんなメッセージが籠められた作品集になっていると感じた。


ところで、この本、ジャケがとてもカッコいいですが、長谷川潾二郎さんという画家の「アイスクリーム」という作品のようです。

韓国ミステリの渋谷系~キム・ヨンハ『殺人者の記憶法』VSラジオ番組乗っ取りサイコキラー~フィツェック『ラジオ・キラー』

翻訳小説を読まない自分にとっては珍しく、2冊連続して翻訳小説を読んだ。
そのうち、大絶賛の『殺人者の記憶法』は、読後に昨年(2018年)に第四回日本翻訳小説大賞に輝いていることを知ったが、それに違わぬ傑作だった!

キム・ヨンハ『殺人者の記憶法

殺人者の記憶法 (新しい韓国の文学)

殺人者の記憶法 (新しい韓国の文学)

主人公キム・ビョンス。70歳、男性。元獣医。そして、元・連続殺人犯。過去一度も逮捕されたり拘束されたりしたことはない。殺人はとうの昔にやめ、田舎で詩や古典を嗜みながらのんびりと暮らしていたが、とうとう病院でアルツハイマーと診断される。頼れるのは一緒に暮らす愛娘のウニだけ。ある日、そのウニが交際相手の男を連れてくる。男の名はパク・ジュテ。ビョンスはその目を見ただけで、自分と同じ“殺人犯”の匂いを嗅ぎとり、パク・ジュテの次なる殺人のターゲットがウニであることを確信する。そして記憶の喪失と闘いながら、娘を守るため、人生最後の殺人を計画する。
2018年1月27日映画公開! 認知症の殺人犯を描き韓国でベストセラーとなった新感覚ミステリー『殺人者の記憶法』 | ダ・ヴィンチニュース

殺人者の記憶法』は本当に好みの作品で、90年代渋谷系音楽を思い出した。
カバー装丁も含めてどこを切ってもカッコいい。
オリジナルというよりは、哲学書からの引用などカッコいいものの繋ぎ合わせに感じる。引用に満ちていた渋谷系音楽に似ている。
さらに、この本のジャンルはミステリということになるかもしれないが、文体を意識しているという意味では純文学的だ。
その「純文学を模している感じ」が渋谷系的だと感じるのだ。
俺、こんないいレコード持ってるんだもんね、というDJ的な文章の運びが「ファースト・クエスチョン・アワード」的なのだ。*1

  • オイディプスは無知から忘却に、忘却から破滅に進んだ。俺はその正反対だ。破滅から忘却に、忘却から無知に、純粋な無知の状態に移行するだろう
  • パク・ジュテを殺すと決めて以来、突然食欲が戻った。夜もよく眠れるし、気力もいい。これはウニのためにやることなのか、自分が好きでやっていることなのか、だんだんわからなくなってきた。p76
  • 本棚で、いい詩が書かれた紙を見つけた。感嘆して何度も読み返し、暗記しようとしたけど、それは俺の書いた詩だった。p100

主人公キム・ビョンス の手記で物語が進むこの小説は、こんな風に、細切れの引用や「記憶メモ」、そして時に笑ってしまうようなアルツハイマーあるあるが列記される。当然、改行も多くページも黒くない。それでいて全体ボリュームが150ページ程度とあっさりしているので非常に読みやすく、 誰にでもオススメできる傑作小説。諸般の事情で内容についてはあまり詳しく話せないので、すぐに読んでほしい(笑)


映画版の惹き文句も「アルツハイマーの連続殺人鬼VS新たな殺人鬼!」と馬鹿っぽく、エンタメ感が高い。が、どうも、原作小説とは設定等が異なるようで、こちらも是非見てみたい。さらに、映画版は本編と別バージョンの『殺人者の記憶法:新しい記憶』というのがあるらしい。これはとても気になります…。

殺人者の記憶法:新しい記憶 [DVD]

殺人者の記憶法:新しい記憶 [DVD]

セバスチャン・フィツェック『ラジオ・キラー』

ラジオ・キラー

ラジオ・キラー

さて、『殺人者の記憶法』大絶賛の理由のひとつに、直前に読んだフィツェック『ラジオ・キラー』のボリューム過多がある。何しろ頁数だけで言えば、150ページ対480ページだから分量的には3倍だ。
しかし、『ラジオキラー』は、それだけで「負けました」と言いたくなる新奇性に満ちた設定で、面白くないわけがなく、リーダビリティも優れている本なのに、読み切るのが本当に辛かった。

その日が、彼女の人生最期の日となるはずだった。数々の難事件を解決に導いたベルリン警察のベテラン交渉人イーラの心には、長女ザラの自死が耐え難くのしかかっていたのだ。しかし、自分の意に反して、ベルリンのラジオ局で起こった、人質立てこもり事件現場へと連れ出されてしまう。なぜならそこでは、サイコな知能犯が、ラジオを使った人質殺人ゲームを始めようとしていたのだ。おまけに犯人の要求は、死んだはずの婚約者を目の前に連れてくるという、本来不可能なものだった。
数百万ものリスナーが固唾を呑む中、犯人ヤンとの交渉を始めたイーラは、自分と家族の知られたくない過去をも、公共電波で明らかにせざるを得なくなっていく。そして事件は、国際犯罪組織までも巻き込んだ思いも寄らぬ展開へと、なだれ込んでいくのだった・・・・・・。
ラジオ・電話・テレビ、現代メディアを駆使した放送作家ならではのリアリティあふれる描写、アル中でシングルマザーの交渉人イーラ、次第に素顔が明らかになる犯人ヤン、そして裏切り者の影すらも――、2006年の話題作『治療島』をしのぐ、仕掛けと伏線が満載のエンタテイメント。

物語のあらすじは上記のような感じで、無茶な要求に応えさせるため、ラジオ番組を乗っ取るという「捨て身のサイコキラー」というアイデアがすごい。
さらに、ラジオ番組でよくある「電話でキーワードを言えたらプレゼント」を応用した、ラジオから無作為にかけた電話で「キーワードを言えなかったら人質を一人ずつ殺す」という名探偵コナンのようなエンタメ展開。そして、殺人犯との交渉がラジオ番組で逐一流れてしまう、という、これまた手に汗握る超展開が熱い。換骨奪胎してコナン映画でやってみてもいいのでは?と思ってしまうほど、素晴らしいアイデアなのに…。
また、フィツェックは、すでに『乗客ナンバー23の消失』 を読んでこちらは絶賛しており、その文体が嫌いなわけでは全くない。しかも、すべてを読んでからストーリーを辿ると、やっぱり筋書きのアラもなく「ちゃんと面白い」話なのだ…。
ただし、複数のストーリーが並行して進み、終盤にどんでん返しがあるという構成自体はほとんど同じなので、小説の進み方としてはまどろっこしいのと、自分の中で「飽き」があったのかもしれないという懸念はある。
フィツェックは、他の著作も読み進めようと思うが、その中で何がダメで何がいいのか「自分の好み」を見極めていきたい。

*1:自分の考える渋谷系の代表的な作品はコーネリアス『ファースト・クエスチョン・アワード』です。

私たち(男性側)には何が必要か~『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』

私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない

私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない

  • 作者: イ・ミンギョン,すんみ,小山内園子
  • 出版社/メーカー: タバブックス
  • 発売日: 2018/12/13
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る

あなたには、自分を守る義務がある。自分を守ることは、口をひらき、声を上げることからはじまる-
ソウル・江南駅女性刺殺事件をきっかけに、女性たちが立ち上がった。今盛り上がる韓国フェミニズムムーブメント。

いまから学んでも遅くはない。一日でも早く、あなたと、新しいことばで、話がしたい
イ・ラン(ミュージシャン、映像作家)

目次
I. セクシストに出会ったら 基礎編

0.あなたには答える義務がない ― 話すのを決めるのはあなた
1.心をしっかり持とう ― 性差別は存在している
2.「私のスタンス」からはっきりさせよう ― フェミニストか、セクシストか
3.「相手のスタンス」を理解しよう ― セクシストか、フェミニスト
4.断固たる態度は必要だ ― あなたを侵害するものにNOを
5.あなたのために用意した答え ― なにもかも「女性嫌悪」!
6.効果がいまひとつの言い返し ― セクシストに逆効果な対応とは

II. セクシストにダメ出しする 実践編

7.あなたには答える義務がない、再び ― きっぱり会話を終わらせる方法
8.それでも会話をつづけるのなら ― 誤解している相手との会話法
9.いよいよ対話をはじめるなら ― あなたを尊重しはじめた相手との会話法
10.話してこそ言葉は増える ― 練習コーナー
11.ここまでイヤイヤ読んできた人のためのFAQ


この本クラスの衝撃はしばらくないかもしれないという、「強い」一冊でした。
タイトルに「フェミニスト」と入っているように、韓国でも盛り上がっているフェミニズムに関する本で、『82年生まれ、キム・ジヨン』の絡みで手に取ってみましたが、「家に置いてある本を長男が先に読む」という最近のパターンにこの本もばっちりハマりました。
ところが、『キム・ジヨン』を読んだときは、神妙な顔をして男女差別の問題点に向き合っていた よう太(中3)は 、この本については、「自分はセクシスト(性差別主義者)でもいい!」と、苛々した様子を隠さなかったのです。それほどに強烈な内容です。


読んでみると、確かにその通りで、この本は基本的に男性に向けては書かれていません。
キム・ジヨン』は、自称フェミニストの男性も読める隙があった(そして最後に「お前もだよ!」と糾弾される…)のですが、この本では、最初から最後まで男性陣はずっと非難の対象となります。
そもそも、女性嫌悪が原因の江南(カンナム)駅殺人事件がきっかけとなって「声を上げ始めた」女性、そしてまだ「黙っている」女性を鼓舞するために書かれたこの本の立場として、男性にも理解者はいる、というスタンスを少しでも見せてはならないのだと理解しています。
つまり、男性側の、いかにも分かっている風の「説得」を受けて(不満を抱えたまま)黙り込んでしまうような女性に対して、女性であるあなたは、(相手の言うことは無視して)あなた自身が差別を受けたと感じている、その経験だけをもとに声を上げていいのだ、と伝えようとしているのです。「個人の経験」に勝つ男性側の意見や説得は、そもそもあり得ないのです。
f:id:rararapocari:20190519141826j:plain:h400f:id:rararapocari:20190519141816j:plain:h400

この本のスタンスを理解するには「はじめに」と11章(最終章)を読むといいと思います。

  • この本でたくさんの読者を得るつもりはこれぽっちもありません。これを書いていた頃、私は、話し相手から必死に共感を得ようとすることに、もううんざりしていました。なので本書には、不親切に感じられるところが多々あるかもしれません。しかし、韓国で女性を含むマイノリティとして生きてきた方なら、この本を読むのに必要なくらいの直観はすでにお持ちでしょう。性差別を受けて一度でもくやしい思いをしたことがある方なら、最後までつかえることなく読み進めることができるはずです。(p14)
  • この本は理論書ではありません。会話につまったとき使えるマニュアルだと思ってください。世間に山ほど出回っている「とっさの旅行会話ベスト100」みたいなものと思っていただければいいのです。本書では、「女性が経験する差別」をめぐる会話だけをご紹介します。(p16)


女性として生きている「あなた」は、すでに「直観」を持っているが「ことば」を持っていない、そこに必要なのは「勉強」ではなく「ことば」なのだ、というのがこの本のスタンスです。フェミニズムについて「勉強」したいと考えている男性(当然、女性としての「直観」を持ち合わせていない)は、読者として全く想定されていません。


したがって、この本の面白いところは、そもそも対話を開始することを前提としていない、ということです。女性が、性差別に対して男性を「説得」するのは「善意」であり、そこでの苦労を女性が強いられるのは筋違いなので、どの部分をとっても「答えない」「相手にしない」という選択肢が常に示されます。
そのうえで、実際に対話をした場合にも、「兵役を果たさないのに権利ばかり主張する」と文句を言うステレオタイプから、「俺は断じてセクシストではない」と言い切る理論派まで一刀両断にぶった切り、まさに「とっさの旅行会話ベスト100」の様相を呈しています。

f:id:rararapocari:20190519143148j:plain
p165図
f:id:rararapocari:20190519143543j:plain
p178表
f:id:rararapocari:20190519143830j:plain
p196


11章の「ここまでイヤイヤ読んできた人のためのFAQ」がとても強烈で、この章だけを読んだ男性は皆イヤな想いをすると思いますが、どれもAmazonレビューなどで短い言葉での批評として書かれやすい内容なので、先回りをしているのでしょう。

f:id:rararapocari:20190519144336j:plain
p204

この本を読んで、最初は、ここまで対立を煽るのはどうか、とも思いましたが、そもそも「性差別」は「性対立」ではなく不平等です。その不平等を、格差を埋めていくために、女性には「ことばが必要だ」ということなのでしょう。
それでは男性には何が必要なのでしょうか。最初に書いたように、女性に備わっている(差別の体験などを踏まえた)「直観」は、男性は持っていません。
月並みではありますが、常にそのことに意識的になって、謙虚に相手の言うことに耳を傾ける。勿論、できるだけひとりでも勉強は続ける、そうしたことが必要なのかなと思いました。

あの映画と比べると不満が…~『名探偵ピカチュウ』

 


【公式】映画「名探偵ピカチュウ」WEB用プロモ映像②

 

とても残念だった『バースデー・ワンダーランド』を見た5/1の2日後に封切りとなったこの映画。
完全に色物扱いをしていたところ、意外にも知人も世間一般の評判も良く、何より、ピカチュウが可愛すぎるという声も大きいので気になりっぱなしでした。それでも、今から観たい映画も溜まってきているし、ここはスルーして次に向けて踏み出そうとしていたのですが、ちょうど、土曜日に立川で時間が取れることになり、これも運命かと立川シネマシティで字幕版を鑑賞してきました。

 


結果を言うと、×でした。
正直言って、地下での闇ポケモンバトルあたりまではとても良かったのです。
自分の知っているキャラクターも沢山登場し、特にバリヤードを「拷問」するシーンは爆笑しました。バトルシーンも良かったし、ギャラドスに進化するコイキングも良かったです。
出演していることを知らずに見たので、渡辺謙が登場するのも嬉しかったし、コクーンタワーや新宿、上野など日本の風景がそこかしこに見えるライムシティの描写も気に入りました。
でも、それ以降が…。
最もダメだったのは、それほどピカチュウが可愛くなかったところ。
これは映画が悪かったのではありません。5/3以降の2週間、観たいなあと思い続けた僕の頭の中のピカチュウは、可愛さ大爆発のもふもふモンスターになっていたのですが、映画で見るピカチュウはその妄想を超えることが出来なかったのです。
勿論、ピカチュウ以外のポケモンが概ね気持ち悪かったところもポイントです。先ほど爆笑したといったバリヤードや、ベロリンガコイキングなど、表情と質感が「可愛い」よりも「怖い」ベクトルに偏っているし、ひたすら挙動不審なコダックも準主役の相棒と思えないほどでした。


そして、他の人がどう思うか分かりませんが、個人的に評価を下げざるを得ないのは、今年観た映画ではNo1の『スパイダーマン:スパイダーバース』との類似点が多いこと。
-主人公が白人ではないこと。
-父と息子の物語が軸にあること。

-ビルの立ち並ぶ都市が主な舞台であること
-男性主人公が守るべき相手ではなく、共に戦う仲間としてヒロインが登場すること。
-序盤で、主人公が街なかで敵に追われるシーンがあること。
-敵の秘密を探りに山奥の秘密基地に潜入するシーンがあること。
-クライマックスがビル街の空中戦であること。

そう考えた時にスパイダーバースとの比較で感じざるを得ない不満点は以下の通り。
-主人公ティムの年齢がよく分からないこともあり、結果として彼の内面を想像できず共感しにくい。(スパイダーバースでは、モテたい・認められたい・強くなりたい=ヒーローになりたい、と中学生である主人公の悩みが明確)
-パレードに乗じて起こした騒ぎなど 黒幕ハワードの目的がよく分からない。(スパイダーバースではキングピンの求めているものが明確。かつ、悪人にも良心あり、と思えるポイント)
-そして、敵(ハワード)の圧倒的強さも見えないので勝利の爽快感がない。(スパイダーバースでは序盤でプラウラーがフィジカルでの圧倒的強さを見せ、終盤のドクター・オクトパスとキングピンも時空の歪みを操るほどに強い。)
-主人公の成長があまり見られない(主人公の成長が全編に渡って描かれていたスパイダーバースとは対照的)
-にもかかわらず、ルーシーとの恋愛が進展する。(スパイダーバースでは、マイルスがグウェンに恋心を抱いているような描写もあったが、結局、恋愛はとりあげず、とにかくマイルスの人間的成長に的を絞って描かれている)
これらがことごとく曖昧だったり、見せ方が悪かったりするため、ミュウツーが実は敵ではなく仲間だったり、息子のロジャーが黒幕と見せかけて父親のハワードが黒幕だったり、悪いロジャーはロジャーではなくメタモンだったり、ピカチュウには実は父親の精神が入っていたり等の物語上のツイストがことごとく不発だったという印象です。 (個人的な感覚です。メタモンの登場は嬉しかったですが…)


なお、帰ったら、映画を未見のよう太(中3)に、「ピカチュウはお父さんだった?」と聞かれました(笑)。確かに、モンゴルマンの正体がラーメンマンであるくらい、このことは自明で、でも、それを「やっぱりそうだったんだ!」と感動させるくらいの何かがなければいけなかったと思いますが、観た感想としては、「別にその設定、なくても良かったのでは?」と思うほど拍子抜けでした。
自分の理解力がないのかもしれませんが、ミュウツーが、ピカチュウの記憶を奪って、お父さんの精神をそちらに移した理由とかもよく分からず、すべてに渡って腑に落ちませんでした…。
ゲームと連動しているようなので、あまり自由に脚本を作れなかったのかもしれませんが、面白そうなところは多数あったので残念です。
『スパイダーバース』よりも前に観たらもう少し評価が高かったかもしれません。
『バースデー・ワンダーランド』と『名探偵ピカチュウ』、2作続いて不満の多い鑑賞になってしまい残念です。何か自分の精神状態に問題があるのかも。
次回は、もっと温かい目で鑑賞できる精神状態と作品選定を心がけます。

 

 

 

名探偵ピカチュウ - 3DS

名探偵ピカチュウ - 3DS